エデンヘの道 ある解剖医の一日
プロット
ドイツ
01月01日 1900 台灣上映
人間解剖島 ドクター・ブッチャー
プロット
イタリア・アメリカ合作
08月28日 2020 台灣上映
落下する夕方
プロット
日本
11月07日 1998 台灣上映
森の学校
プロット
日本
07月20日 2002 台灣上映
恋の力学
プロット
ベネズエラ・フランス・ベルギー・スペイン合作
10月05日 1996 台灣上映
ヨーロッパの解放
プロット
ソ連
07月11日 1970 台灣上映
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落下の解剖学評論(20)
ミステリーじゃなくヒューマンドラマ、家族の話でしたか。
法廷での丁々発止のバトルや、新たな事実の発見で犯人が二転三転、伏線とか伏線回収とかスリリングな展開のサスペンスを期待したのに、そういう映画じゃなかった。
ひねりもなく裁判も話も終わった。
結局のところ、彼の自死ということで良かったのでしょうか。
法廷のシーン、検察側の主張が主観と憶測ばかりでシロウトみたいで、こんなんで通用するのかと思った。
暴露された夫婦喧嘩の言い分は、明らかに夫のほうが分が悪い、駄々っ子みたいな言い分で、冷静にズケズケ本質をついた返しをする妻のほうが上手。
夫の、妻の才能への嫉妬とプライドがこんな態度になるんだろうけど、八つ当たりです。
別れちゃえばいいじゃん、なんだが、妻は夫を愛しているのがなんとも。
だったら妻も、もう少し夫を思い遣ってもよかったのでは、と思う。
人間をじっくりみせるためにこの尺が必要だったんですかね。
淡々としており、私には長すぎてところどころウトウトしました。
唯一の現場の証言者である息子が視覚障害者、という条件が生かされていない。
サスペンスにしたほうがよい材料だったと思う。
案はいいのにそれを活かして小説にできなかったという、亡くなった夫がダブりました。
自殺ならなぜ遺書を残さなかったのか。
妻の犯行ならなぜ凶器を探さないのか。
大きな疑問符が残る。
法廷劇にしては設定が緩いし、どんでん返しを期待すれば裏切られる。
それでも最後まで目を離せないしラストもそれなりに納得させられる。
それは理性と人間味にあふれた妻ズザンヌや悲しみを乗り越え成長する息子ダニエルのみごとな人物造形に依るが、傍で家族を見守る犬の存在も大きい。
クレジットに犬の名前があった気もするのだが、たしかに重要な登場人物のひとりだった。
脚本、役者、演出どれもよい。
言うまでもないがあの夫、いくら時間があっても小説なんか書けないね。
ものすごく心が掻き乱されて、観た人それぞれに別々の物語が完成する映画でした。
この興奮が少しでも伝わると良いのですが…
始まりは愛だったはず。
表面に見えている事がらは、氷山の一角でしかない。
複雑な要因が絡み合い蓄積した結果の、ほんの一部しか見えていないのに、そこから単純に判断されがち。
目の見えない息子が物語のキーとなりますが、
表面に見えている部分があることは、むしろ物事の本質を曇らせると思えてきます。
それぞれの立場からの真実。
表面に見えていないものが見えてくる面白さ!
法廷劇としても楽しめます。
どんどん出てくる新事実に二転三転。
はたして真実を言ってるのか?一度疑いだすと、とめども無く疑惑が広がり、そもそも真実なんて無いようにも思えてきます。
それぞれの主観が真実なわけで、立場が変われば真実も変わる…
まるで黒澤明監督の『羅生門』を彷彿とさせる内容ですが、本来なら死人に口なしのところを、巫女の口寄せとは違う方法で死人に語らせます。その手があったか!あくまでも“目には見えない”ところも徹底しています。
不意にカメラがズームするのに驚きますが、ドキュメンタリーを撮られていた監督だけに、臨場感のある映像に引きつけられました。
しかし裁判って、どっちが勝っても負けても、パーソナルな部分が人前に晒されて、消耗して疲れ果てて…良いことないね。
途中からは、検察官がなんとか有罪にしようとやっきになっているようにしか見えないし。皆んながそれぞれ自分の立場からの“真実”に着地させようと法廷で戦っている図式も見事。
そして、サンドラ・フラーさんの演技力。
ちょっとした仕草や視線から、映画には描かれていないシーンまで見えてくるから凄い。
「そうは言ってるけど、本当は…」夫婦のパワーバランスも見えてくるし
「反対もしないけど協力もしない。冷たい態度を取ってたんじゃないの?」などなど…過去にあったであろう夫婦間の様々なやり取りを、観客側に想像させてくる!
じわじわ蓄積した“過去”の説得力がすごい。
夫婦は一番近い他人。
一緒に暮らす為には、お互いに譲れるところは譲り合わないと成り立ちません。
2人の関係を大事にしたいから相手を尊重して譲ったはずなのに…じわりじわりと我慢が蓄積して不満へと変わる。
ここも、見えていない部分が見えてくる感覚でした。
彼女の物言いにスカッとする反面、決してどちらか片方のせいとは言い切れない心理が複雑に絡み合います。
社会的立場への嫉妬や、自分への不満、苛立ち。
表面に見えている肩書きで人は評価されがちで、育児や家事や介護など家族の為に割く時間はなかなか評価されにくい。
私の場合は15年間映画を観る時間も取れないほどでしたが、一昔前の人間なのでそれが普通だと思っていたし、何より家族にとって必要不可欠な存在だと思えていた。
この映画を観て強く感じたことは、状況や立場が変わった時、自分の中に新たな存在意義や存在価値を見出せるか否か?がとても重要で
それには周囲からのリスペクトが必要不可欠。
「ありがとう。あなたがいてくれて本当に良かった。」そう思いあえることが何より大事だと感じました。
あと、この映画を更に一筋縄ではいかなくさせているのが、作家という生き物。
無から創造物を作りあげるパワーと覚悟。
産みの苦しみ。
一般人には計り知れない部分がありますが…だからってそんな事までする?
どうにも不自然で引っかかる部分があって、
仕組まれた復讐にも思えます。
怖っ。
見せない部分の妄想が止まらない。
観た人それぞれに別の物語が完成する、エキサイティングな映画でした!
#落下の解剖学
サンドラ・フラーが素晴らしかったです。あらゆるエモーションがにじみ出ているといった印象で、かなり泣けました。
あの賢い犬もとても効果的だったと思いますが、ちょっとずるいような・・・でもあんなスマートならたくさん使いたくなる気持ちも分からないでもありません。でも、あのガキ何さらしとんじゃい!と思ったりもしたので、だから尚更ずるいと思った次第。
人生いろいろと大変だけど何とか完走していきたいものですね・・・などと今でも思考が巡っています、とくに接点がある話ではなかったのですが、他人事とは思えないわけで、なかなか巧みで秀逸な作品だったかと─。