命は安く、トイレットペーパーは高い
プロット
香港
06月28日 1997 台灣上映
すべての政府は嘘をつく
プロット
カナダ
03月18日 2017 台灣上映
はいすくーる仁義
プロット
日本
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プロット
アメリカ
05月01日 2009 台灣上映
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プロット
日本
12月28日 1983 台灣上映
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不安は魂を食いつくす評論(11)
「幸せすぎて不安なの」とエミは言う。
そう言えば、三島由紀夫の「永すぎた春」の主人公も同じことを言ってました。幸せはそうそう長くは続かないという誰もが心の奥底では気がついている真理。だから幸せって実は怖い。私は三島やファスビンダーのこういうところが好きです。
若き移民労働者と初老女性の結婚は、人々の差別意識を浮き彫りにしていました。周囲の人間は悪人ではありません。しかし悪意があります。排他性や差別の始まりは、真面目な良き隣人や身内から、というのが良く描かれていました。人々は不安から差別を作り出しますが、不安を感じたからこそ、ここまで人類は栄えたのかもしれないですよね。
多分、エミが男性だったらアリが白人だったらここまで差別されなかったと思います。そんな周囲の悪意によりエミとアリは終わってしまうかな?と思ったのだけど、、、
エミがアリを支配しつつありましたが、結婚制度の仕組み自体がそもそも双方の力関係が出る仕組みだからなあ。
ファスビンダー だからと身構えて鑑賞していましたが、意外や意外、ハッピーな気持ちで鑑賞を終えられました。
不安、良くない。差別、良くない。
、年齢、性別、社会的地位の差、周囲からの目線には敏感で、人を差別することには鈍感になってしまうこと、人を愛することの幸せと傲慢さ。時代も国も違うのに、なんでこんなに身につまされるのだろう。
いろんなシーンで出てくるテーブルと椅子、そこに座る人々の表情、ワンピース可愛い花柄、ファスビンダー監督の作る世界観はすごい。アキカウリスマキ監督が影響を受けたというのも納得。
中々興味深かったのは、半世紀前の西ドイツの映画でありながら、現代日本にも相通じるテーマ性を持っていると感じられたこと。少子化による労働者不足により、ここ10年程度で日本でも移民が飛躍的に増え、それとともに移民労働者に対する差別的待遇を中心に、それなりに報じられてきました。日本にとっては比較的新しい問題ですが、ドイツでは半世紀も前からこうした問題が社会に蔓延していたらしいことが読み取れた訳です。
主人公のエミは、夫に先立たれ、3人の子供もそれぞれ所帯を持って今は一人暮らしをする60代の女性。そんな彼女がひょんなことで知り合ったモロッコ移民のアリと結婚すると、3人の子供はもとより、アパートの隣人、近所の食料品店主、職場の同僚に至るまで、エミを蔑むようになります。ナチスドイツの反省に立って戦後歩み始めたはずのドイツでも、移民に対する強烈な差別意識は社会の至る所に残っていることを平然と告発した本作は、中々度胸があるとしか言えません。
さらに面白いのは、そんなエミが、自分の親も自分もナチス党員だったことを何の屈託もなくアリに告白し、ヒトラーが通ったというレストランに2人連れだって食事しに行くなど、差別で悪名高きナチスやヒトラーに懐かしさすら覚えていたのに、アフリカ出身のアリには深い愛情を感じていたということ。この辺りのアンビバレントな描写が、一層登場人物を立体的に感じさせてくれたように思います。
最終的には、エミを一時遠ざけていた彼女の子供やアパートの隣人、食料品店の店主、職場の同僚などが、それぞれの打算的な理由でエミに妥協的な態度を取ると、逆にアリの精神が崩壊してしまう逆転現象が起きる。この辺りのダイナミズムも本作の最大の魅力だったように思います。表面的な妥協は成立しても、本質的な解決に至ったようには見られないところでエンディングを迎えます。移民が増え続ける現代日本にあっても、我々がどういった態度を取るべきなのかを考えさせてくれる秀作でした。
結婚は唐突に起こった。アリはモロッコからの外国人労働者、若くてハンサムでスタイルよくて優しい。ドイツ語は完璧でなくても十分に話せる。付き合いがあるのは同郷の仲間と行きつけのバーのみ。一方、ポーランド人の夫を亡くした未亡人エミには成人した子どもが3人いて、掃除婦として働き自分の住まいに一人暮らしで社交的で料理上手で経済的にも生活面でも自立している。孫もいる。ずんぐりむっくりでおばちゃん顔。アリの祖母といわれてもおかしくない年齢差である。
結婚は大家への言い訳から始まったが同意のもと役所に行って二人は本当に結婚した。幸せでかわいらしいカップルだ。生活しているドイツ社会において権力(見えないガラスの下駄を生まれつき履いている側)はドイツ人である妻のエミにある。ただ当初は、肌の色が異なる外国人労働者と結婚した為にアパートの住人からも行きつけの商店主からも同僚の女性からも自分の子ども達からも疎んじられ皆離れていく。それでもエミとアリは強く結びついていた。
それが、二人で過ごした気晴らし休暇から戻ったら状況がおかしく(普通に?)なってくる。住人も商店主も同僚も子ども達も手のひら返しの優しさでエミとの関係を戻す。そしてエミも変わる。顎でアリを使うかのように隣人の荷物移動手伝いをアリに指示する。女達がアリの若くてスベスベした筋肉質の身体を触りまくって褒め称える。それをエミはニコニコと笑って眺めている。クスクスを作ってというアリに、「クスクスなんて私は本当は嫌い。あなたもドイツに慣れなくては」と言い放つ。二人だけが幸せなら良かったはずだったのに。みんなの意地悪は嫉妬からだとエミは言っていたのに。でもエミはアリとの結婚で失った知人、友人、家族関係を恋しがってもいたのだ。
最後にエミはアリに言う。あなたが誰と寝ようが関係ない。二人で幸せに暮らしたい。残りの人生を一緒に過ごせればそれでいいと。「オレはお前より先に死ぬ、お前はオレの面倒を最後まで見るのだー」と昭和の夫のようだ。一方で、アリは当時の医者によると外国人労働者に多い胃潰瘍を煩っていて原因はストレス。どっちが先に死ぬのかもう誰もわからない。
結婚における権力構造を明らかにするためには男女関係をここまでひっくり返す必要があるのか・・・と絶句した。
すごく引き込まれた