恋の墓
プロット
日本
03月12日 2021 台灣上映
野菊の墓
プロット
日本
08月08日 1981 台灣上映
ガラスの墓標
プロット
フランス
05月29日 1971 台灣上映
肉体の門(1988)
プロット
日本
04月09日 1988 台灣上映
ガラスの中の少女(1988)
プロット
日本
12月10日 1988 台灣上映
結婚の条件(1988)
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
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火垂るの墓(1988)評論(20)
救いようがないほどの不幸。唯一救われたのは、畑泥棒したことを咎められるが駐在さんによって仲裁されたこと。初めて見たときには、不幸だけのストーリーに違和感も沸いたが、戦争が全ての原因であることをここまで訴えているアニメだと考えると、珠玉の反戦映画であることを改めて感ずる。
お母さんが亡くなってしまって、かわいそうな兄妹って、あまり深く考えていなかったけど、
大人になってから見てみると、また違った捉え方になる。例えば、母が死んで、親戚のおばさんのところでお世話になる場面。子どもの頃は、おばさんのことを、意地悪なおばさんだ、ひどいってただ思っていた。だが、そうじゃない。この大変なときに、せいたは、自分のこと、妹のことしか考えていない。お世話になっているのだから、なんか恩返しを、力になれることはないのか…そういう考えが全く描かれていない。おばさんが怒るのも無理はないが、
せいたもまだ子どもだ。そういうお互いに助け合うっていうのを、あのおばさんも
教えてあげられたらよかったんじゃないかな。
せいたもおばさんに嫌なこと言われてしまってもいさせてもらえれば、2人は死なずにすんだのでは、、って思う。あと、お金の使い方を見ているとやっぱり子どもなんだよな。
おばちゃんも大人気ないよな。
空襲はいつ起こるかわからない、お腹いっぱい食べられない。そんな世の中では、イライラもしてしまうし、人格が変わるのだろうと思った。戦争は人を変えてしまう、恐ろしいものだと大人になってから改めて感じた。
今は、コロナの世界。戦争とは違うが、ちょっと似てるなって思う。コロナの「どこにもでかけられない、人と密になってはいけない」なんて
戦争に比べたら、余裕で乗り越えられるじゃんって思っちゃった。お腹いっぱい食べられるしね。
高畑勲監督の訃報がニュースになったのをきっかけに、ちゃんと見てみようと思いレンタル。
清太の判断が、生きるために正しい決断だとはちょっと言えない。きっと他の選択肢には、生き延びれるものがあっただろう。
でも、14歳で、母が死に、戦争という地獄の中で、自分に正しい判断ができるのかとも思う。少なくとも清太には、妹を守らねばという使命感があって、不安な思いをさせたくない気持ちでいっぱいだったんだろう。それを思うと、批判はできないし、やっぱり憎むべきは戦争であって。
戦争を体験してないからわからないけど、平気で隣の人が死んでいくような世の中に、今の常識なんて通用しないよなあ。虚し悲しい。
小さい頃に一度見て、それからずっと見ないでいた作品。
アニメや映画雑誌などインタビューで監督が【これは反戦や悲劇がテーマじゃないんですよ】と言っていた事は知っていた。
だけど、その意味が分からないまま大人になっていました。
セイタ兄弟は戦争の被害者ですが
空襲でやける街を見て炎に焼ける街や人を見て 虫のホタルみたいだと言います。他人事なのです。
そして【戦争被害者であるはずのセイタ達は自分達の為だけにホタルを大量に捕まえ死なせます】
もちろん加害者の意識はありませんしホタルを狭い洞窟で死なせたのは自分達のはずなのに、かわいそうだと泣くのです。
【自分たちの利益の為に大量の命を奪う行為】に対して何も感じていない。
この構図は明らかに戦争とシンクロしています。
ここがこの映画の最大のキモだと思います。
人間は目の前の事にだけ共感し、
共感した相手がひどい目に合えば敵に対して憎しみを持ち、自分にとっての正義と悪を決めてしまう。
戦争がまさにそれです。
物語を見る我々にとっての正義はセイタ兄弟です。
盗みもワガママも妹殺しも ホタルを弄んでも
正義がやることなので、気になる人は少ないです。
セイタ側を正義として見ている人はだいたいこう言います。『子供なんだし仕方ない、戦争なんだし仕方ない』
残念ながらセイタより年下の子供が礼儀も正しく、頑張って働いてるシーンは何度も出てきます。
この作品はセイタに正義を置いてはいないのです。
そして大体の場合文句を言われるのは悪であるオバサンや助けなかった大人達等です。
危険な街に出て必死に働く娘を優遇するオバサンは悪でしょうか?
働かず、お礼も言わず、遊んでばかりの人のご飯を少なくするのは悪ですか?
空襲で人も死んでいるのに『もっとやれー(笑)』と大笑いしながら泥棒するのは正義でしょうか?
妹が死んだ途端にスイカと雑炊を食べ尽くすセイタは正義ですか?
この物語は悪でも正義でもないのです。
自分にとっての善悪を決める人間の性。
皆がその人間の性質に気づくまでは戦争が無くなることは無い。と監督は描いているように感じます。
だからこそ この映画は反戦がテーマでは無いとことあるごとに言っていたのではないだろうか。
また論争が起きるような構図を意図的に作り、議論という擬似戦争を起こさせ
争いの本質に気づかせようとしたのでは。
単純な反戦メッセージではなく、
戦争が起きてしまう元々の根幹を問いただし、本当の意味で戦争を無くす為に【気づく力】を持って欲しかったのではないでしょうか
最後の最後に幽霊のセイタは物語を語り終えて観客に問いかけるようにジッと目を合わせて来ます。そして現代のビルの夜景で映画は終わります。
我々現代の人間は過去の過ちを払拭出来ているだろうか。都合の良いことにだけ共感して、他の事に気付かない という人間の欠点に気づけているのだろうか。
余談ですが
セイタのモデルでもある原作者は自身の本の中で
妹が次第に疎ましく感じていた
妹が死んだときほっとしてしまった
と語っています。それが本心だったと・・
アニメ化が決まった時は監督に
『決して僕を(セイタ)善人のようには描かないで下さい』と念を押したと言います。
その一言がこの映画をただの戦争反対だけの映画にはしないと決めさせたのでしょう。
人間の本質と善悪の正体を描ききった芸術的映画です、素晴らしいの一言。