第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウの同名ベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。「あゝ、荒野」の監督・岸善幸と脚本家・港岳彦が再タッグを組み、家庭環境、性的指向、容姿などさまざまな“選べない”背景を持つ人々の人生が、ある事件をきっかけに交差する姿を描く。横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、不登校になった息子の教育方針をめぐり妻と衝突を繰り返している。広島のショッピングモールで契約社員として働きながら実家で代わり映えのない日々を過ごす桐生夏月は、中学の時に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。大学のダンスサークルに所属する諸橋大也は準ミスターに選ばれるほどの容姿だが、心を誰にも開かずにいる。学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した神戸八重子は、大也のダンスサークルに出演を依頼する。啓喜を稲垣、夏月を新垣が演じ、佳道役で磯村勇斗、大也役で佐藤寛太、八重子役で東野絢香が共演。第36回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最優秀監督賞および観客賞を受賞した。
正欲評論(20)
水をめぐる性的興奮と快感を鮮烈に描くシーンがいくつかある。たとえば、ベッドに横たわる夏月(新垣結衣)が水に浸されていく心象風景(映倫区分がGで大丈夫か、親が未成年の子と観たら気まずそう、などと余計な心配をしてしまった)。交通事故に性的快感を覚える人々を描いたデヴィッド・クローネンバーグ監督作「クラッシュ」や、ヘイリー・ベネットが異食症の女性を演じた「Swallow スワロウ」のように、特殊な嗜好を観客に想像させる一面はあるものの、より強い印象を残すのは、ある事件の事情聴取を行う検事・寺井(稲垣吾郎)と夏月との“かみ合わなさ”だ。自分に理解できない嗜好を否定し常識で物事を決めつけようとする寺井を反面教師に、さまざまなレベルでの多様性を受け入れるには想像力と柔軟性が必要だと映画は示唆する。他人に迷惑をかけたり法を犯したりしないことが大前提とはいえ、欲望や嗜好に正解も間違いもないのだ。
現代社会のキーワードに「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」がある。ポリティカルとコレクトネスと2つの単語が構成されているこの言葉は、「ポリコレ」と省略されて使われることが多いが、2つの単語から成るものだと意識した方がいい。
コレクトネスという観点で本作を観ると、本作で描かれた人々を犯罪者扱いするのは「正しくない」はずである。しかし、ポリティカル(=政治)な議席の数には限りがある。全員がその椅子に座れるわけではない。政治を社会をスムーズに営むための統治で多数決を原則とするなら、多くの人が理解できない性癖の持ち主は排除されるべきとなりかねない。この作品に描かれたものは、ポリティカルとコレクトネスに引き裂かれており、この単語の矛盾を的確に指摘している。
多様な人間が暮らす現代社会は、多数決の原則で動かざるを得ない政治的な正しさだけでは包摂しきれない。だから、マイノリティは政治運動を展開し、政治的なパワーを得ようと努力してきたわけだが、現実問題として、どんな属性でも政治的なパワーを持つことが可能かというと、そんなことはないかもしれない。皆が平等になるのが正しいが、政治の椅子の数は決まっている。今作られるべき映画だったと思う。
共感する人も近くにいて明日生きていたくないといった気持ちになる葛藤が描ききってないと思う。この映画だけを観ると水と戯れること、動画を観ることで欲求が満たされるなら、人の迷惑にもならないし、犯罪にも関わらなくて済むので生き辛い感が伝わらない。
ゴローちゃんの家庭は酷かったな。レトルトのカレーのみとたぶん冷凍物のオムライスのみを当たり前の様にサーブするあの奥さんの冷たさがとても印象的だった。
『生欲』
「自分がどういう人間か、人に説明できなくて
息ができなくなったことってありますか?」
私はあります。
「明日が来なければいいと思って生きてきた」
そんな人の気持ち、理解できますか?
「誰にもバレないように、無事に死ぬ為に生きてるって感じ」私もそんな感じ。
家庭環境 性的指向 容姿
異なる5人の人生が、少しづつ繋がってゆく。
正しい欲とは?欲に正しいも不正解もないのでは?"普通"って何?普通じゃない癖(フェチ)を持ってたら捕まるの?可笑しな世界だ。
異なる5人なのに、5人全ての気持ちが理解できた。共感した。苦しくも、嬉しくも、羨ましいとも思った。
「どうせ私の気持ちなんて誰もわからない」
そう思って生きている人達に、
そう思ってない人にも
是非観て頂きたい。痛烈な衝撃作。
理解できないかもしれない。嫌悪感を抱くかもしれない。
私のように逆に苦しくて泣いてしまうかもしれない。でも、世の中にはこういう人間が山ほどいる。この世界の中に誰か一人でも理解してくれる相手が居たら、抱きしめ合える人が、居たら、居て欲しいと願う。私にも居たら良かったのになと、昨夜も3時頃も、今も、毎日、毎晩、絶望する日々。
「いなくならないよ」その言葉のあとの、とてもシンプルな愛の歌 Vaundy「呼吸のように」が、この作品を観終えたエンディングだからこそ深く胸に刺さり、涙が止まらなかった。
入院前からずっと観たかった作品
この近辺では昨日で上映終了でした。間に合った、、、良かった、、、この作品に出逢えて良かった。原作ではより深く登場人物の過去が知れるということもわかったので、時間があれば読んでみたいと思った。
⚠️以下ネタバレ含んだ私の感想です。
「これで擬態できないかな?世間なみに。この世界で生きていく為に 手を組みませんか?」
この言葉を発した磯村勇斗くんにきゅん。
そりゃ嬉しいさ。そこで初めて心からガッキーの笑顔が。ほっとした表情。私も指輪💍貰った事あるしさ、ヴィヴィアンのよ。今でも持ってるよ。付けらんないけど。
「逃げ癖がついた人間は生きづらいまま」
仰る通りでございます。
カレーオムライス 私の好きな得意な料理
同級生や友達の結婚式には出た事がない。この歳で一度もない。他人の幸せが辛い。コース料理が食べれない。不登校だった。男性恐怖障にもなった。人間不信にもなった。
拘束前に押さえつけられたトラウマで。触れられるとパニックやら過呼吸やらフラッシュバックやら手の震えやら。でも好きな人の画像は保存します。スクショします。見てるだけで幸せなのです。
人生の通知表 大晦日 お正月子供のアイコン
「うっさい話し掛けんな」「何その目 こっわ」
私もあの目ひん剥いた目👁で発した事があります。
はじめてのおつかい嫌いは大嫌いです。
明日生きていたくない人死にたい人
社会の一員流れに乗るのが「普通の人間」なんですか?
そう、バグ。この作品を観た夜中にバクった。
では、私の癖を晒しましょう。
私は眼鏡とスーツと白衣が好きです。
子供の頃嫌いだった注射も採血も点滴も今では当たり前のこと。好きか嫌いかと問われれば好きだ。思い出して下さい。佐藤健の恋はつづくよどこまでも を
全国の女性がきゅんとしたはずです。それと一緒です。イケメンの医者に惚れた。それだけの事。
拳銃や手錠も好きです。『Switch』という漫画がありハルというキャラクターがどストライクです。オタク?そうなんでしょうね。
それの何がいけないんでしょうか?
大人の男性が小さい男の子が好きな事は犯罪ですか?確かに売買は駄目。
でも、好きな事は仕方がない。
その線引きは非常に難しい。
薬だってそう。捕まる薬とそうでない薬の違いって何ですか?もうわかりません。
どうかまだ、終わらないで欲しい。
上映を続けて欲しい。一人でも多くの方に、この苦しみを知って欲しい。
この苦しみを、誰かと分かち合えたなら、、、
多様性って簡単に定義づけできないどこまでも果てしないものだと思う。理解しようとしても、結局個人の中にある知識や経験からしか生まれないのだから各々勝手に枠を作って、簡単に分かった気になったり、ありえないと思ったり、勝手に引いたり、批判したり、自分より下にみたりする。ありえないものを内側に抱えたり隠したりしながらどれだけの人が生きてるのか、目には見えないものがどれほど大きなものか、みんな見落としている。そもそも理解しようとすることが正しいのか?理解できないことは悪なのか?考えさせられる。
中盤、夏月の同僚の言葉にぞっとさせられる。きっと本人にとっては何気ない言葉。むしろ自分は正しいことをしているという態度。仮にも悪気なく世の中こういうことが至る所で起こっているのかななんて思うと本当にぞっとする。
夏月と佳道の2人。手を組むって、なんだか契約のようで嘘をつくようだなと予告編を見て思っていた自分の浅はかさを思い知る。手を組もうがその姿が他人にどう映ろうが、ただ必死でみんな生きて、生きようとしているだけで、生きていくための手段ってそれこそ正解も不正解もきっとないのだと思う。所謂普通ではないものを抱えていても、他人には計り知れないほどの孤独を抱えていても、もしたった1人でもそれを大事にありのままに共有できる人がただ側にいるのなら、生きる理由として十分だ。「いなくならないから」というセリフ。ここだけ切り取ると何気ない言葉。別の視点から捉えるとある意味皮肉な言葉。これほど力強い言葉があるだろうか。一生忘れられないラストシーンとして胸に刻まれた。