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ツォツィ評論(12)
ツォツィは父親の暴力的な環境で育ち、病気の母親から遠ざけられて愛情を拒絶されてきた過去を、封じ込めて生きてきたのでした。
忘れていた人間らしい感情が、次第に彼の中に蘇っていきます。
いつしかツォツィは女性の家に入ろうとするとき、「頼む、入れてくれ」と言い、女性が差し出した食事に「ありがとう」と礼をするようになるのです。
そして赤ん坊の父親は、ツォツィに対して怒りや憎しみではなく、「信頼」で応えようとしました。
恐らくツォツィが生まれて初めて受けた、人間としての「品位」でしょう。
ラストは無上の 感動的なシーンでした。
上映後、外に出てもまだ目が潤んでいたような映画は僕は初めてです。
暴力と蔑みのなかで育った子は、暴力と敵対の生き方しかできないし、愛情を与えられた人間は、優しさやいとおしさなどの感情が育まれるでしょう。
この映画は正にそういうことを表現しています。
それは境界性人格障害の人も同じです。
愛情というものが人間にとって如何に大切なことか。
全ての子に適切な愛情が注がれる世の中に なってほしいと願うばかりです。
人間教育において家庭環境がどれだけ大事なのか。
母と言う存在がどれだ偉大なのかを…。
舞台は南アフリカ(ヨハネスブルグ)の黒人貧困街(スラム)。
劇中の映像でとても印象深いのはスラム街の原っぱから望む高層ビル群…。
その社会の底辺である貧困街を我が物顔で歩くチビッ子ギャング(が、ちょっと大きくなった)のリーダー、彼がツォツィ(不良という意味)と呼ばれる主人公の少年です。
ある意味彼らは極悪非道で生きるために簡単にタタい(強盗)ちゃいます。そして時と場合によっては殺人をも犯してしまいます。
そんなツォツィがある日、一人でタタいた富裕層の黒人女性が運転するベンツ。彼は女性の足をピストルで撃った上にベンツを強奪。
でも、その強奪したベンツの中には、まだ小さな命である赤ちゃんが乗っていたのです…。そして、その赤ちゃんをツォツィは何故だか自分の家に連れ帰ってしまいます。
その赤ちゃんを通じて…、というよりもその赤ちゃんと接することによって今まで封印してきた自分という存在を確認し始めるツォツィ。彼の心の中にさまざまな想いが嵐のように吹き荒れ始め、少しずつ何かを思い出し始めるのです。
実際に見て頂きたいから…、ストーリーはこのぐらいにして…。
ところで、
この映画はハリウッド映画などに比べ、チャッちいと思ってしまうかもなシンプルな造りなのですが、ところどころに張り巡らされた複線、というかメッセージが至極わかりやすく胸を打ちます。
大切なメッセージです。
アパルトヘイト後も、今だ混迷を極める南アフリカが舞台であるがゆえにシンプルかつ直情的なメッセージが有効になっているのではないかと思われます。
ツォツィは幼少の頃、誰もがそうであるようにお母ちゃんに抱かれたかった…。
何かの感染病にかかっていたお母ちゃん。でも触れたかった(抱かれたかった)でしょうに…。
しかし『病気がうつるからその女に近づくな!』という父親。
飲んだくれであまりに暴力的で人でなしな振舞いの父親。飼っていた犬(小さな生命です。)にまで攻撃を加え死なせてしまう(?)。
ツォツィはとうとう我慢しきれずに家を飛び出しました。
多感な時に独りぼっちになった彼は、自分の存在(名前)を封印しツォツィと名乗る事になったのです。
少年の中に、元々はあった人としての優しさ…。それがあるが故に暴力という存在に反発し、逆に暴力を振るう側になっていく。
少年の心にあった優しさを思い出すきっかけとなったのは、やはり母という存在でした。
赤ちゃんが泣きやまないので彼なりに苦肉の策としてとった行動が、近所に住む若き母親(シングルマザー)の家に潜り込み、ピストルで脅しながら『赤ちゃんに乳を吸わせろ!』、でした。
やむなく赤ちゃんに母乳を飲ませる若き母親…。その時、その女性の赤ちゃんに対する慈しむようなを振舞いの中に何を感じたか、ツォツィの表情が見事なくらい優しく変化します。
これをきっかけに、ツォツィは自分が生まれてから自分の母から受け継いだ、人としての大事な何かを、一つ一つ思い出していくのです。
一つ一つと言うからには、他にもおらたちが思いださなければならない人間としての大事な何かを、この映画はシンプルに訴えてかけてきます。
泣いてください!たまには…。
その罪にあうもの
とても不器用でとても純粋な
どうしていいか分からない
そんな人にも未来は微笑んでほしい、
どうかDVDの幻のエンディングも見てほしい
ひょんなことから赤子と接することになり…というストーリー。
話の展開は起伏があって飽きさせない。
ただしヒューマンドラマとしては、大味に感じた。
どんな理由でもどんな相手でも、他人を殺める状況になったら、
ものすごい苦悩と逡巡と、一生消えない傷を負う。と思うのだけど、
この映画の主人公からはそういう感情を読み取れなかったから。
つまり簡単に人を殺しすぎている。
彼のように殺人が日常茶飯事の世界で生きていれば、あるいはそういうものかもしれないが、
個人的にはバッサバッサと躊躇いなく人を殺したり、見逃してみたり、
命に順位を付けて殺す人を即断できる人間を、リアルな存在とは捉えられなかった。