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さまよう青春 プロット アメリカ 04月27日 1958 台灣上映
さまよう魂たち プロット ニュージーランド・アメリカ合作 02月15日 1997 台灣上映
皆さま、ごきげんよう プロット フランス・ジョージア合作 03月01日 2023 台灣上映
夜よ、さようなら プロット フランス 08月09日 1980 台灣上映
さようならCP プロット 日本 04月10日 1974 台灣上映
悲しみよさようなら プロット アメリカ 05月03日 1991 台灣上映
さまよう刃(2009)評論(20)
総合:80点
ストーリー: 65
キャスト: 85
演出: 85
ビジュアル: 70
音楽: 70
寺尾聰演じる長峰の自宅の留守番電話が警察に監視もされずに野放しになっている、携帯電話を持っていても電波の発信源の探知もない、長峰と犯人の少年の二人とも長野の山奥からあっさりと警察の包囲を破り関東方面に移動できる、そんな部分には物語の弱さがある。
最後の場面で長峰が言う「彼らに課す罰は死にも値する恐怖」、そういう割には既に最初の犯人は刺殺してしまっているわけで、その意味では矛盾が生じている。そして残る一人の犯人に一度恐怖を与えたとしても、長峰が死んでしまえば犯人はその後の生涯は、いつ殺されるかもしれないという恐怖に怯えながら生きることもなく余生を過ごすこともできる。娘を殺されあれだけ苦悩しながら犯人を追跡した後で彼が言う「死にも値する恐怖」とは、長峰が生き続けることによってその後もいつ復讐のために殺されるかもしれないというものを長い期間にわたって犯人に与えるのではなく、逮捕される前のほんの一瞬銃を突きつけることだけで良かったのだろうか。
銃をつきつけあっていて自分たちが銃撃戦に巻き込まれるかもしれないのに、野次馬が逃げもせずに輪になって見学しているのもおかしい。そのような疑問もいくつか物語にはあった。
それでも、最初から結論ありきで方向性を示すのではなく司法制度の不条理に関する問題提起をしたこと、たった一人の最愛の家族を極めて残忍な形で失った父親の悲しみと、それを見事に演じた寺尾聰の演技に共感出来た。だからその重い喪失感、悲しみ、怒りが理屈以上に伝わってきて、十分に堪能出来た。
原作は読んでないが、何ともやるせない内容である。
鑑賞後、気持ちの持っていき場が見あたらない…。
妻を亡くし、最愛の一人娘をも失ってしまう主人公。
しかも相手は少年法に守られたケダモノ(という描き方)
犯人のアパートで娘の犯行ビデオを観てしまった父は、
あまりの残虐さにその場で吐いて腰を抜かしてしまう。
(このリアルな映像、こちらも生きた心地がしなかった)
彼らは更生する気などない。ならば自身で復讐するしか
方法はない、と半ば強制的に復讐劇が開始されていく。
私も一応、親なので…彼の置かれた状況に同調できる。
あんなモノを観れば、それこそ逆上するのは当然だ。
犯人を殺してやりたい!自分の子供と同じ思いを…と
法が罰さないのなら、自分の手で!と思うかもしれない。
そこまでの問題提起はいいと思った。
昨今では、こういった極悪少年犯罪が多すぎる。
私の子供の頃は殺人事件というのに必ず理由があった。
理由なき殺人って、なに!?誰でもよかった、だと??
他人を殺さなければならない理由が全く分からない。
しかし、こういう人種なのだから、極刑に処せばいい。
という考え方では、なんの解決にもなっていない。
今作でも少し描かれるが、命の重さを測れない人間に
「死にたくない」「死んだら悲しい」「どうか死なないで」
という恐怖や不安を理解させることこそが重要なのだ。
本来なら子供の頃~何らかの形で教わってきただろう
そのことについて、最近ではゲーム感覚で捉えている
冷めた若者たちが増えてしまった。どうしてなんだろう。
最愛のものを失ってからでないと、気付かないことか?
考えても考えても、胸にはやるせなさが残る。
今作の内容が云々より、有効な回答が提示されずに、
さまよえる作品になっていることが、いちばんの恐怖だ。
(生まれたその時から極悪人。なんて存在しないはず。)
本当にただの逃走劇みたいになっているがそれも違うなと。
難しい作品だったので、映画の限界を感じずにはいられなかった。
残念ながら、そのエンディングでは全く意味が変わってしまいます。
非常に残念でした。ラストが命の作品でしたのに。