大作「映画史」などの映画監督ジャン・リュック・ゴダールが、自らを対象として世界を描こうとした、自伝でもなく、肖像でもない<自画像映画>とでもいうべき作品。ジャン・リュック・ゴダールのイニシャルであるJLGがタイトルに冠され、ゴダール自身が主人公として出演するが、ドキュメンタリーと呼ぶにはフィクションが随所に挿入され、映画、文学、哲学など様々な要素の映像と言葉が渾然となって一体化している。映画局査察官役で批評家のルイ・セガン、映画史家のベルナール・エイゼンシッツ、「新ドイツ零年」のアンドレ・S・ラバルトが出演。また音楽は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲と第七交響曲、ヒンデミットの「葬送音楽」、アルヴォ・ベルトの「ミゼーレ」が使われている。
JLG/自画像評論(1)
内容は;
「スイスのレマン湖畔で暮らす彼の生活を捉えながら、国立映画局の査察官の介入などのフィクションを織り込んで映画は展開」(eiga.com)
だそうです。
ゴダールの意識は常人には及ばない恐ろしく高度な次元にある。そして、それ故に彼はいつでも孤高であり孤独である。本作もそんな彼の生活が描かれています。
確かに観てて理解しようとするのは逆効果で、そうすればするほど深みにはまり、頭の中が混沌としてきます。でも、不思議と伝わるものがある。それが恐らく「愛」というもの。分らないのに心の琴線にふれ、何故か泣けてくる。
これが本作の魅力です。
一人の人間の頭脳という小宇宙のキャパシティを超えてしまうような、あまりにも広大な人間や世界の問題を、彼は全身で受け入れている。故に、観てて辛くなる映画でもあります。
わたしのような常人がこんな作品を観て理解することなど出来るはずがない。でも逆説的に、だからこそ観たほうが良いと思うのです。
55分という短い時間ながらも、その映画体験は深いところに刻まれる。そして映画が終わった時に解放された安堵感と同時に、日常生活の観え方がどこか変わっているような気がする。これを体験できるだけでいいのだし、こんな体験をとてもリアルに与えてくれる監督はそうはいない。
中途半端に受け入れているようでは理解はもっと中途半端に終わるものだと思います。自己にこだわったところで何の得にもならないのだ。
体で感じる類の作品です。