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太陽の王子 ホルスの大冒険評論(14)
太陽の剣を手にした少年ホルスが、仲間たちと共に悪魔グルンワルドに立ち向かう。
演出(監督)は、本作で長編映画監督デビューを果たしたアニメ界一の賢人、高畑勲。
原画を担当しているのは、当時は駆け出しのアニメーターだったアニメ界一の天才、宮崎駿。
1950〜60年代、長編アニメ映画を制作することが出来たのは大手アニメ制作会社の東映動画だけであり、1958年公開の『白蛇伝』を皮切りに1年に1本のペースで長編アニメ映画が制作されていた。
日本のアニメ=東映動画という時代が続いたが、そんな東映動画一強の時代に殴り込みをかけたのが、手塚治虫が1961年に立ち上げた「虫プロダクション」である。
虫プロは1963年に日本初の本格的な連続テレビアニメを作り上げた。ご存知『鉄腕アトム』である。
『アトム』の登場により、アニメのニーズは長編映画からテレビアニメへと移行する。
それに伴い、東映動画も長編映画よりもテレビアニメの制作に注力するようになる。
これまで年に1本というペースで作っていた長編映画だが、その制作体制をそろそろ見直さなくてはいけない…
そんな空気が社内に漂ってた1964年、ついに東映動画は長編映画の制作をしばらくの間中止すると決定する。
映画作りに燃えていたアニメーター達の落胆ぶりは想像に難くない。
しかし翌1965年、東映動画は長編映画の制作を再開することを決定。
企画部はある男を作画監督に任命する。
長編第1作の『白蛇伝』から原画を担当していた大塚康生である。
大塚は作画監督を引き受ける代わりに、ある男を演出として起用するように直訴した。
その男こそ、のちに日本アニメ界を動かす大賢人、高畑勲である。
こうして、高畑勲&大塚康生のコンビで映画の制作は動き出す。
スタッフとして、東映動画の天才達がこの2人のもとに集まることになる。
「アニメーションの神様」と称された天才、ベテランの森康二。
朝ドラ『なつぞら』の主人公のモデルとなった奥山玲子。
奥山玲子の夫であり、のちに任天堂で『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』のイラストを担当することとなる小田部羊一。
女性アニメーターの草分け的存在の大田朱美。
そして、新人ながら天才的な才覚を発揮させていた、のちに高畑勲とアニメ界を動かすことになるレジェンド、宮崎駿である。
こうして集まった天才達は、連日連夜顔を付き合わせ、侃侃諤諤の議論を交えつつ作品を作り上げていった。
妥協を知らないことで知られる高畑勲の気質はこの頃から顕在で、1966年公開の予定だった映画の制作は遅れに遅れた。
予算と納期を守らない高畑勲と会社の間では激しいやりとりが行われ、制作中断の憂き目にもあいながら、なんとか作品は完成する。
ここまで会社の方針に逆らい、自分たちのやりたいことを貫いたのは、もうこの先アニメーターが自由に作品を作れる時代はやってこないだろう、という思いからだったらしい。
作品作りや労働組合の活動を通して、固い絆で結ばれた製作陣にとって、この作品は青春そのものだったようである。
宮崎駿は、高畑勲への弔辞で延々とこの『ホルス』制作時の思い出を語っている。
また、大塚康生の著書『作画汗まみれ』には『ホルス』制作時のエピソードが詳しく記されている。
長編アニメの世界で生きてきた、最後のアニメーター達の青春の煌めきこそがこの映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』なのである。
制作スタッフの意気込みとは裏腹に、本作は興行的には大ゴケしたらしい。
確かに、この作品はホルスの勇ましい大冒険を描くというよりも、ホルスやヒロインであるヒルダの苦しみや葛藤を描く作品となっており、正直子供が見たら退屈するんじゃないかと思う。
題材は壮大なのに、凄く地味…
世界を征服しようとしている悪魔グルンワルドさんの小物感は異常。村一つ攻め落とすのにも苦労するのに、絶対世界征服とか無理でしょこの人。
『太陽の王子』とあるが、別にホルスは王子じゃない。王国すら出てこない。
納期と予算の関係で泣く泣くこうなったらしいが、狼やネズミが村を襲う場面が止め絵だったのにはがっかり…😞
凄くレベルの高い作品だし、製作陣の覚悟もわかる!
しかし、肝心の作品は今一つ面白くないんだよ〜
まぁ、1960年代のアニメなんてほかに見たことないし、この作品が特別つまらないという訳では無いと思う。時代を考えれば奇跡のような作品なんだろう。
宮崎駿の『未来少年コナン』や、宮崎吾朗の『ゲド戦記』が本作の影響をもろに受けていることは明白!
ジブリファンは必見ですね!
少し気になったのは、敵のデザイン。
アイヌの村みたいなところが舞台で、熊が話したり斧で悪魔と闘ったりするようなファンタジックな話だった。
悪魔は悪魔として迷いがなく、人々を混乱させたり不幸を願っている。気の毒なのは悪魔の妹で、彼女は孤独を抱え、村の子供をかわいがっているのだが、悪魔的な活動を使命として、精神を引き裂かれそうになっていた。
主人公のホルスは一切の迷いがなくピュアに悪魔と対立している。こうして思うと、迷いがなによりつらいのかなと思った。
クライマックスはでっかい岩の化け物が氷の巨大マンモスと闘ったりと、非常にエキサイティングだった。歌や踊りの場面がたくさんあって、楽しかった。
子供に見せたい。
『ガンバの冒険(TV版)』『宝島』『未来少年コナン』と、この映画。
初見は小学生。4年生だったか。
TVアニメやディズニーでは、基本的に勧善懲悪か王子に助けられる無力なプリンセス。
そんな中で出会ったこの映画。
スピード感あふれる風の狼との攻防。カジキマグロとの闘い。ラストの攻防。モーグとマンモス。胸が躍った。
あんな結婚式を夢見た。
でもそれだけではなく、策謀、陥れ、裏切。
葛藤、迷い…。
ヒーローの活躍もあるけれど、ヒロインの喜び・悲しみ、そして決断。
澄み渡るような楽曲、踊りだしたくなる楽曲。
なんていう映画なんだ。画面にくぎ付けになった。
再見。
大胆な動き。静止画としても美しい水彩画のような背景。そこにデフォルメされたキャラクターのバランス。なんて見事なんだ。生活苦にあえいでいた頃の暗い色調から、魚の遡上に合わせて色彩から変わるところなんか、その変化に合わせて心が躍る。
ヒルダやグルンワルド達を、寒色の青・紫・白・銀にまとめ、ホルスや村人を太陽のオレンジを基本としたアースカラーでまとめているところも見事。村長たちは彩度が暗かったりするところもツボ。
そんな画面に見惚れているが、その絵に命を吹き込む声。平氏、東野氏、小原さん…。
その中でも出色は市原さん。幼く見えるこけしのようなヒルダの顔(注:森康二氏のデザインのファンです)。だが、市原さんの声が入ると、少女のような、とてつもなく年上のような。魅惑的に人を誘い、どこか冷たく突き放す。高貴な姫でもあり、村娘でもあり。孤高の存在でもあり、でも寂しげな…。勿論、絵のヒルダの表情も多彩に変わる。歌声も、どこまでも澄み切って、村人ではないけれど、手を止めて聞き入りたくなる。歌っている歌詞はとんでもないのだが…。よくぞ、ここまで声質が似た方を見つけたもんだ。
アイヌユーカラを基にした劇『チキサニの太陽』を基にした物語。アイヌの話ではヒットしないという、会社の判断で、漠然と北の国の話としたとのこと(『東映動画 長編アニメ大全集 上巻』より)。この話の素朴さ・人間賛歌はそこから来ているのか。良質な児童文学さながらの物語。
「世界を救う」的な中二病的な話が蔓延している今としたら、スケールは小さいのかもしれないが、自分の村=全世界的な認識の子どもの頃。そうでなくとも、今自分が生活している村を救えなくては世界なんか救えない。
「悪魔が力で村を潰すんじゃなくて、人々の心を操り破滅に誘う」というのも、物語の世界では温故知新だが、大抵のTVアニメや映画では、怪獣がやってきて潰すのが定番だったから、斬新な発想だった。
確かに、話のつなぎが唐突に見える部分はある。
静止画でも美しいが、アニメーションとして見たい場面もある。
特に、迷いの森は短すぎて、展開が安直に見えて惜しい。
『白蛇伝』以来毎年長編映画を作っていた東映が、TV等の煽りを受け、いったん中断した後に、持ち上がった企画。しかし、スケジュールの停滞、予算オーバーにより、中断の話も出た中、動画を静止画にとか時間の短縮等を余儀なくされて、でも完成にこぎつけたとか(Wikiより)。
もし、その頃の没になったセル画等が残っていて、ディレクターズカット版(監督が故人なので、当時携わっていらした方でよい)が作れたのなら、どんな作品になったのだろう。
興行作品には、常に付きまとう問題。
興行成績が振るわなかったとのこと。でも、それで作品の出来を貶めるには当たらない。
予告編を見たが、この映画の良さを伝えているとは思えない。
製作者たちは高校生等をターゲットに置いていたが、会社は小学生にターゲットを置いて販促したとか。いや、昭和期、子どもに見せる映画のチョイスは大人。大人がこの映画の価値をわかっていなかったんだと思う。
今でも根強いファンがいる映画(私だが)。
一生モノの、否、未来に伝えたいと思う映画に出会えた喜び。
そんな映画をありがとう。