21世紀の資本劇情

2014年に日本でも発売され、ブームを巻き起こしたフランスの経済学者トマ・ピケティの同名経済学書を映画化した社会派ドキュメンタリー。35カ国で翻訳され、経済学書としては異例の300万部という売り上げを記録したトマ・ピケティの「21世紀の資本」を、著者のピケティ自身の監修、出演で映像化。700ページを超えるため、完読が困難とも言われるこの本を専門家でない一般の人も五感で理解できるように難しい数式などを用いず映像で表現していく。「ウォール街」「プライドと偏見」「レ・ミゼラブル」「ザ・シンプソンズ」といった映画や小説、ポップカルチャーなどを使った構成で、「資本」の観点から過去300年の世界各国の歴史を切り取っていく。フランスのエレクトロポップデュオ「エール(Air)」のジャン=ブノワ・ダンケルが音楽を担当。

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21世紀の資本評論(20)

noxurh
noxurh
過去(17世紀)から、現在までの富がどの様に変化し、現在の富が何処にあるのかを経済学者が端的に纏めた映画です。
特に今の若年層(10代、20代)に鑑賞して欲しい。
laqjdom
laqjdom
ネタバレ! クリックして本文を読む
まるで近代から現代にかけての世界史をスタイリッシュに紐退いていくかのような映画であった。
この映画の魅力をパートに分けて紹介していこうと思う。
タイトルの意味は終盤にわかると思う。
終盤は少々のネタバレと私情が溢れ出てしまったのでご考慮願いたい。

1, 映像、音楽、構成のお陰でわかりやすい!!

難解なテーマであるにも関わらず映像と音楽の用い方がポップでスマートで明快なので、誰でもすんなり入り込めると思う。

例えば貧困、戦争、搾取、反乱という悲惨な映像に極めて明るい現代のポップソングを乗せるような対位法を用いていたりするのだが、これが非常に皮肉が効いていて、なんだか上流階級の人間がタワマンから下界を見下ろしながらパーティを楽しんでる、みたいな現代的シニシズム(冷笑主義)を感じるように編集されていたりしてよく凝っている。
こういう対位法ってなんだかおしゃれって感じで海外ドラマなんかでもよく使われているんだけれども、本作の用い方はそういうインスタ的オシャレ感覚を完全に皮肉ってるようでまぁ使い方的に関心した。
スタイリッシュだけれどもそこには風刺なんかもちゃんと効いてる。
映像としてもちゃんとしてるし、資本や経済に関心がある人間以外にも見て欲しい。
というか、社会人として、あとは少しでも自分たちの社会がどのように構成されているのかということについて関心のある若者には見て欲しい。これは学校では教えてくれない、でもどこよりも分かりやすい世界史、現代史の正史なのだから。

ここからネタバレ

2, 資本主義の行き着く先の恐ろしさ!!

まぁ資本というものは我々庶民に初めて富をもたらしてくれた神様であり、それと同時に富を得たものから心を奪い、富のないものには永遠の飢えを与える悪魔であった訳だ。
時代はこの資本経済の楽園と煉獄の狭間を目まぐるしいサイクルで行ったり来たりしながら未だに振り回されて続けている。
更にピケてぃいわく、経済は悪くなる一方でこのままでは、徹底的な貴族と庶民の差があった18世紀や第ニ次世界大戦前にまで後戻りするという最悪の展開が我々の未来には用意されているらしい。
それは「フランス革命」の再来であり、「ナチス」の再来を意味する。
思えば貧困層の増加がナチスを生んだ起因であり、国としての衰弱は狂気的なナショナリズムを強固にすることは明白だ。
そして上流階級の徹底的な貧困層への無関心と搾取、貧困層の恨み辛みがフランス革命であった。

今はリベラルの時代と言われているが果たして本当にそうなのだろうか?
それは中流階級が人口の多くを占めていた時代の余裕ある経済や思想の名残なのではないだろうか?
リベラルは経済に余裕がある時代の潮流であり、余裕がなくなると人々は自分の座席の奪い合いに必死になる。そこで人種差別や他国批判は余裕のなくなった国民にとって格好のターゲットである。
宮台曰く、この座席不足が国粋主義につながる理論はリチャードローティーなる哲学者が昔言っていたことであるらしいが、実際に現代そうなってしまっているではないか。

アメリカでは国粋主義の暴君トランプが大統領になり移民を阻害、移民問題どころか黒人の怒りがブラックマターリブズのように飽和状態になって未だに差別主義が氾濫していることが露呈された。
イギリスはオーウェンジョーンズという作家によれば貧困層への差別が広がり、下流階級が完全に這い上がれないほどに絶望的に貧富の差がひらいているとのことで。
日本でも沢山の問題を抱えている。
若者の貧困率はかなり上がっているし、時間にも心にも余裕がない人間が大量に生まれてしまった。
ネトウヨなる似非右翼が跋扈し明治後期に先祖返りしそうな国粋主義を提唱したり、就職氷河期で日の目を見なかった世代の忘れられた者たちが精神を病んで大量殺人に走ったり、莫大な奨学金をして大学に行って破産する若者、風俗などで働いて返済する女子大生、鬱病の人間も自殺する人間も沢山抱えている。
一方で学歴主義が幅を利かせまくって、IT社長が一番偉くって、金持ちの自己啓発書が売れまくって、容姿端麗で清潔な人間がSNSで支持される。
誰も彼も自分の実力や才能だと思い込んでいる。
生まれ持っての運でしかないのに。

韓国も似たような状況であることは、今年「パラサイト 」で露呈された。「バーニング」でも絶望的な貧富の差について描かれていたし。
アメリカでも「ジョーカー」、「アス」などで貧富の差の広がりは描かれていたし、日本も「万引き家族」という代表作がある。映画は時代の写し鏡でもあるので、
同時多発的な貧困映画の出現はどこもかしこもこんな状況であることを証明しているに等しい。
かつて先進国と呼ばれた国々はそれぞれ内側のよそ者を排除して更によそ者を入れないように壁を作って鎖国しようとしている。
戦争が始まる第一歩のような気がしてならない。

3, ある衝撃の実験結果

上流階級の貧乏人への差別は世界共通であり、
心理学的にどんな人間でもお金を持つようになると無意識にお金のない人間を見下すようになってしまうことが
ある実験によって証明されてしまっていることがわかった。
被験者を二人用意して、最初にコイントスによってお金持ちと貧乏人が決められた状態で人生ゲームをスタートするという実験なのだが、金持ちサイドの人間は必ず貧乏人に上から目線になり、横柄で差別的な態度をとってしまうらしい。
そして自分がお金持ちなのは自分の才能や実力であり、一方が貧乏なのはそいつのせいだと思い込んでしまうらしい。実際はたまたまでしかないのに。
こうして下流階級への偏見と差別、無関心が生まれる。
それは人間の心理構造上そうなるよう設定されているのだ!!これは驚くべき事実であった。
そういえば、オーウェンジョーンズの著作「チャブ」にも、周りの金持ちがみなそのような思考をしていて、いやお前ら全員親の金でそこまで立派になったのになんでそんな偉そうなん?君たちはなんて想像力がないんだ、、、と呆然とするシーンがあった。
これはこの検証結果まんまである。
これと似たような経験は僕もしている。
僕は元上流階級出身で現貧困層のライクアローリングストーン一家で育ってきたのだが、大学では上流階級の友人が複数いたものだ。
彼らの思考もだいたいこんなもんである。
金の使い方も、他人への態度も、恋愛の仕方も。
どこかで人を見下しているし、それを当然のものと思っている。
僕も呆然とした。
勿論善良な人間が圧倒的に多く、リベラルで穏やかな人も多い。だが時々、同じ人間とは思えぬほどの肌の冷たさを感じる。
なんだか彼らまさに人生をゲームとしてしか捉えていないのではないだろうかと感じる。
「パラサイト 」でも「バーニング」でも「ジョーカー」でもそんな場面があった。
その度、ヒリヒリと胸が痛む思いがした。
僕はこの感覚を知っている、と思っていた。
検証結果が、その正体である。
僕が感じてきた違和感の、勿論全貌とはいえないが、明確な形がようやく見えてきた。
金持ちと貧困のハイブリッドである僕が知っているこの感覚を、どちらか一方の人たちは知らない可能性がある。僕が得た視野と想像力も、環境と運の産物である。
上記のような環境と、たまたま映画と本が好きだったという運でしかない。
世界は、人間は、環境と運の産物だ。
これもベストセラー「もっと言ってはいけない」に記載されていた論文で証明されているのだ。

僕がなんども言葉を変えて同じようなことを言っているのは、やはり様々な人たちがそれを手を変え品を変え証明し続けているからだ。

これは資本主義のシステムそのものが孕む怪物である。
だから誰を恨むでとなく、この様々な問題を孕む怪物と向き合う必要がある。

貧困の差はひらきつづていく一方だとピケティほ膨大な資料に基づいて論証した。
それに対する対策案も、本作の最後に明確に提示してくれた。
そんでこれ、選挙前の山本太郎とかどっかの東大の経済学者もこんなこと言ってなかったっけ?
HP見てみると山本太郎の本作推薦VTRがあった。
いろいろと勉強してんのな、と思った。
しかし彼らの言ってることが正しいとはまだ判断できない。これから僕も学んでいかなければ。

世の中変えられないと思っていた。どうしようもないことばかりだと。悲観主義と諦念が僕の心を支配して離れなかった。ただ変えられる物事については、やはり変える努力をしていかなければならない、そう強く感じた。

「神よ、どうか私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えられる物事を変える勇気と、その二つを見分ける知恵を授けたまえ」(スローターハウス5)

そう祈るばかりだ。
xsxjrb
xsxjrb
グローバルな経済の話だが、諸外国の実情はよくわからないので、日本の内情を考えてみた。

小泉純一郎が総理大臣だった時代、平成の御用学者である竹中平蔵の主導によってアメリカ式の市場原理主義を導入し、小泉は「構造改革」と称して規制緩和を連発した。おかげで非正規雇用が劇的に増えた。正規雇用者との収入の格差は増大し、それはそのまま生活の格差、教育の格差、文化の格差となった。要するに貧乏人が増えたのだ。同時に、なんでもかんでも自己責任という論調が世に広まった。政治家にとっては自己責任という言葉ほど便利な言葉はない。貧乏も自己責任、病気も自己責任と言っておけば、政治が果たす役割は限りなく小さくて済む。
民主党政権はCIAに鳩山首相が潰され、折から起きた東日本大震災で、構造改革と自己責任はしばらく放っておかれたが、安倍晋三政権によって小泉改革路線が踏襲され、世の中は豊かな人がどんどん減少し、格差は更に広がっていった。悪いことに自己責任論は輪をかけて広まり、時代のパラダイムと化してしまう。ジャーナリストが紛争地域に行ってテロリスト集団から拘束され、あるいは殺されるのも自己責任ということになり、中には殺された後藤さんをSNSで非難する有名人まで現れた。
ジャーナリストが紛争地域に行く理由は簡単である。事実を伝えるためだ。世の人々が正しい判断をするためにはより正確な情報が必要である。しかしすべての情報にはバイアスがかかっている。政府の出す情報には政府に不利な事実は含まれない。場合によっては嘘が混じる。戦前の大本営発表を鑑みれば明らかだ。だからジャーナリストは現場に赴いて自分で見て聞いたことを伝える。勿論ジャーナリストの情報にも個々のジャーナリスト毎のバイアスがかかっているが、政府の出す情報とは確実に違う情報が得られる。権力のバイアスのない情報である。それは人々にとっては例えば選挙での投票先を考えるのに必要な情報なのである。テロリストに拘束されたジャーナリストを自己責任として放置する姿勢は、貧乏人を自己責任として放置する政治家の姿勢、あるいは生活保護の申請をなかなか受けつけない役人の姿勢にも通じる。国民から徴収した税金を自分たちの金と勘違いしているのだ。
国民は自分のレベルに合った政治家しか選べないという。つまりは雇用を流動化させて格差を増大し、貧富の差に平然として弱者も病人も自己責任と一刀両断してハナから救う気がない政治家を選んだのが日本の有権者であり、突き詰めれば日本国民はそれを望んでいるということである。
世界中で似たようなことが起きているとすれば、人間は格差が好きなのである。勝ち組と負け組という意味不明の言葉を作り、勝ち組に入れないのがいけない、つまりは自己責任だという論理になる。貧しい人が総理大臣になることは殆どない。多分田中角栄くらいのものだと思うが、政敵である福田赳夫を大蔵大臣に抜擢したり、自分に諫言する人に金を渡していたことを考えると、自分がたまたま運がよかっただけだと自覚していたのかもしれない。しかしそういう反省の気持ちを持つ人は極めて稀である。
金持ちの子供は塾でも家庭教師でも参考書でも十分に与えられ、東大でもスタンフォードでもケンブリッジでもMITでも行ける。しかし貧乏人の子供がコロンビア大学に入学することはまず不可能だ。国家公務員上級試験に合格することも滅多にないだろう。そうして金持ちによる金持ちのための政治が連綿と続く。格差は固定化されるのだ。

しかし人生の目標は生活レベルの向上だけではない。美人を妻に持ち大きな家に住んで高級車を乗り回すのが夢だった時代、あるいは三高の男と結婚して贅沢な暮らしをするのが夢だった時代はもはや終わった。特に超高齢化社会でしかも低成長、またはマイナス成長という下り坂の国家の最先端である日本に住んでいれば、そういった価値観は過去のものである。前世紀の遺物だ。これからはモノに執着しない精神的な充足が目標になるだろう。
とはいっても「衣食足りて礼節を知る」ということわざもある通り、最低限の生活を営むことができなければ精神的な充足もへったくれもない。貧しくても衛生的で健康な生活を保障するのがこれからの政府の役割だろう。ところが現在の政府はその役割を担おうとしていないように見える。それどころか貧乏人も病人も自己責任で切り捨てている。そして同じことが世界レベルで起きているということを思い知らされたのが本作品である。問題は現代の政治であって、御用学者が本作品を意味不明に論評している「戦間期の悲劇」などではないことをはっきり申し上げておく。
jtlydl
jtlydl
数年前から経済番組で経済問題が語られるたびに
そこそこのコメテーターがこぞって引用した
ピケティーのベストセラーを
著者本人と、同じ考えの若手経済学者が
解説しているこの映画!!

私はすごく期待して観に行ったのです。

今の貧富の格差は誰の目から見ても明らかで
私自身、今、なんとか職も家もあるけれど
いつ体を壊したり災害にあったりして
何も無くなってしまうか!
その恐ろしさに常に悶々としてる訳です。

要するに貧富の格差は広がるばかりで
資産家の資産は相続によってさらに増えて行くのに
給料を上げてもらえない貧困層は
もっと貧困になってゆくと言うお話。

で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては

そこは、いろんな人が引用してるから解ってる。
その解決策がこの映画の中にあるのではないのか?!

答えは、富裕層からもっと税金を取れ!

ってことで、そんな事は解ってる。

だけど富裕層は有り余るお金を使って
自分たちから税金をぶん取る様な政治家を
潰してしまおうとする。

結局、何も変わらないのか?

いや、選挙権のある国民が
ちゃんと公正に政治を行う政治家を
選ぶしか無いんだよ!

日本だけで無く世界中で
最後は国民がなんとかしないといけない!
アホな政治家を選んだツケは
結局自分に回ってくる訳だ〜〜

@もう一度観るなら?
観てると本当に腹たって来ます。でも観て!!
Ospmxggxns
Ospmxggxns
難しかった!
戦争のシーンがあるけどかなりリアルだ…
本物を使っているのでかなりぼかしてある

金持ちは楽しそうに遊んでて羨ましいと思った
大して努力もせずに長男てだけで優雅な生活を送る。
自分の地位を守るために政治は金持ち優先

心底羨ましい!

イギリスが戦争に勝って❓
沢山の植民地を手に入れてたのをこの映画で初めて知った

今のイギリスじゃ想像つかないから

歴史は繰り返すって言うけど
戦争の歴史は繰り返さないでほしい

未来の人類と現在の人類の幸せを思った。

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