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永遠の人 プロット 日本 09月16日 1961 台灣上映
永遠の緑 プロット イギリス 01月01日 1900 台灣上映
永遠のアンバー プロット アメリカ 04月10日 1952 台灣上映
永遠のエルザ プロット アメリカ 04月15日 1972 台灣上映
永遠のマリー プロット イタリア 01月15日 1993 台灣上映
永遠のモータウン プロット アメリカ 05月01日 2004 台灣上映
永遠と一日評論(4)
時間は進む。
果たしてそれは真実だろうか?
自分の最後を悟った詩人アレクサンドレはいつものように家を出て、今を、思い出を、そして見知らぬ過去を、時間を縦横を旅する。
永遠の一日を生きる詩人の彼と今や過去、時間を繋ぐ架け橋は紛れもない"言葉"である。
生きる手段であり、アイデンティティーでもあるそれは時間を超越し過去を今に呼び起こし、遠い過去に思いを馳せ、時を止めてしまう力さえ持つと作品は語る。
言葉でこの作品を語るのは難しい。
観たことが、感じたことが全てなのだと思う。
ストーリーでは無く、もっと根底のことを語りかけてくるこの作品は果てしなく美しい。
映画であって映画でない。
生であり、死であり、永遠であり、一日であり、人生である。
美しい。
そう、詩人ソロモスが言うように"人生は美しい"。
信号で止まる車の窓を洗う難民たち、難民売買(?)と思える映像。台詞も説明もほとんどなされない不可思議な長回し映像に眠くなるが、心地よい。人身売買業者(?)から少年を売ってもらい、国境の地を目指すアレクサンドレだが、思うようにいかない。思い通りにならなかった認知症の母親、亡くした妻アンナ、そして未完成の詩や小説。旅立つには悔しいことが多すぎたのだ。そして、嫁いだ娘にひきとってもらえなかった愛犬を誰かの結婚式で誰か(誰?)に預ける。
途中、妻や母の回想シーンを織り交ぜながら、理想の詩人をも登場させ、幼き少年にも教えようとする。そして別れ間際に飛び乗ったバスの幻想的な光景によって、人生を走馬灯のように感じさせるのだ。赤い旗を持った革命戦士のような若者、芸術論を語るが仲たがいしそうな恋人、そして音楽家、詩人・・・結局、人生の美しさを理解できずに旅立たねばならない無念さを秘め、虚しく帰途につくアレクサンドレ。ブルーノ・ガンツの虚ろな表情が心に沁みる。少年の会話も印象的。故郷では地雷が残り、親友だったセリムも溺死してしまった。
妻の言葉「永遠と一日」が病院へ行くことを止めさせるが、果たしてこれでよかったのだろうか。妻の思い出はそうであろうが、彼にとっては永遠によそ者なのだから・・・