ミス・アリゾナ
プロット
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プロット
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プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
ミス・シャンプー
プロット
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プロット
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ミス・マルクス評論(10)
哲学、経済、思想、革命家として有名なカール・マルクスの末娘エリノア・マルクス。
女性、労働者、子供たちなど、弱者のために闘い続けた彼女もまた、一人の弱い女性だった。
パンクロックのように激しく、そして切ない彼女の生きざまとは?
英雄の表と裏。
女性の自立を説く一方で、プライベートでは同じ社会主義者のエドワード・エイヴリング(かなりの駄目男)に依存していく。
父親と良く似た男への囚われ…彼女は父親の呪縛から逃れられなかったのだろうか?
物語後半の少女エリノアと父や姉たちとの回想が胸に刺さる。
もし、彼女やカールが今の世界を見たら、何を思うのだろう?
そんな愚問が頭をよぎりました。
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この手の映画をつくりたいのなら、長編といっても、90分程度の尺にしないともたないだろう。
死後の世界があったら、カール・マルクスは、地獄の炎で焼かれているらしい。
共産主義は、ソ連や東ドイツ崩壊後も、亡霊のように世界に存在し続けている。
そして、中国でまた、亡霊がその存在を人々に知らせようと、領土の拡張を続けている。
女性や労働者の権利のために働いたといっても、それは世界の人々のためになったのか、美化するだけでは、済まされない問題がある。
共産主義国家には、必ず大虐殺を行った歴史がある。
マルクスとは一体何だったのか?娘の映画でごまかすことができない過ちがそこに隠されている。
エリノア・マルクスは、地獄の炎に焼かれているのか?
最後の共産主義が敗れた時、それは自ずとわかることかもしれない。
本作品では幼い頃トゥッシーと呼ばれていた主人公エリノア・マルクスの生涯が音楽とともに描かれる。ロックは不案内なのでよくわからなかったが、クラシック曲はリストのラ・カンパネラ、ショパンの幻想即興曲、そしてショパンの英雄ポロネーズが壮大に使われていたと思う。
エリノアは偉大な父カール・マルクスの遺稿を整理し、その思想を受け継いで労働者と女性の権利を守ろうとしたようだが、彼女の演説は何故か空疎に聞こえ、心に響いてくるものが何もなかった。父が母に宛てた手紙を読んだシーンだけが心に残った。
2017年のフランス映画「Le jeune Karl Marx」(直訳「若き日のカール・マルクス」邦題「マルクス・エンゲルス」)のマルクス本人の論理はビシビシと刺さるものがあったのに、その娘であるエリノアの言葉がこうも空を切るのは何故だろうか。
その理由は映画の後半で徐々に明らかになる。エリノア本人も認めていたように、彼女の心は父親に、そしてその亡き後はエドワード・エイヴリングに蹂躙されていた。それほど彼らの理論に傾倒していたということだ。尊敬はしているけど愛してはいない。相手も同じなのではないか。尊敬されているが愛されていない。
男性なら世間の尊敬を集めることができればそれで満足だが、女性はそうはいかない。愛されなければ生きていけないのだ。愛に命をかけることはできるが、思想に命をかけることはできない。彼女の演説が空疎で心に響かなかった理由はそこにあると思う。そして、そこまで計算して演出した監督も、その演出に応えて演技した女優も見事である。
19世紀は哲学でも文学でも音楽でも、沢山の巨人を輩出したが、その殆どが男性である。女性で思い浮かぶのはイギリスのブロンテ姉妹、そしてフランスのジョルジュ・サンドだ。ジョルジュ・サンドはフランス人らしく恋多き女性で、音楽家のリストやショパンとも付き合っていたらしい。本作品でリストやショパンの曲が盛大に使われていたのは何か関係があるのだろうか。
いずれにしても、女性が生きづらかった時代である。エリノアが精神的に独立するには環境が向かなかったのであろう。子供を産んで母として慎ましく暮らすには視野が広すぎ、思想家として自立するには愛されることを望みすぎた。時代に引き裂かれた不幸な女性の典型だと思う。