コーヒーはホワイトで
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ウルトラミラクルラブストーリー評論(20)
言うなれば『ギルバートグレイプ』のディカプリオって感じ。どこか憎めない存在で、画面に見入ってしまう。
感動も興奮も意外な展開もないけど、どこか魅力がある不思議な映画。
2009年のキネマ旬報ベスト・テンで7位を獲得した本作だが、好き嫌いが大きく分かれているようだ。嫌いと思う人の多くが「何を言いたいのかさっぱり解らない」と感じているらしい。なるほど特異なキャラクターと突飛なストーリー展開が観ている者の混乱を招くのだろう。一見荒唐無稽な本作だが、実は監督の強いメッセージが込められていると私は思う。ただそのメッセージが多すぎて逆にまとまりが無くなってしまったのだろう。私が考える本作のテーマは「自然主義」(あるいは原点回帰)。その中には環境汚染や戦争、遺伝子操作などの批判が含まれている。松山が津軽弁で楽しそうに演じている主人公の陽人は、普通の人より脳みそが小さく、まさに理性や知性を持たない人類の原点のような人。そんな陽人が東京から来た理性の人である町子先生に恋をしたことから、彼の人生が数奇なものになって行く。子供の悪戯によって農薬を浴びてしまった陽人は知性(理性)を身に付けていく。町子先生に好かれるため、どんどん農薬を浴びる彼は、ついに死人と会話したり、心臓が止まっても生き続けるといった超人となってしまう。環境汚染や遺伝子操作に対する痛烈な皮肉、これが青森の小さな村というのどかなコミュニティーで起こっていることが恐ろしい。最後は脳みそだけになってしまう陽人だが(さすがに生きてはいない)、その脳みそを町子先生に捧げることで恋を成就させる。それはまるで町子先生の死んだ恋人の代わりのように(死んだ恋人は事故で頭部を失っている、その恋人に陽人は靴(=足)を貰っている)。さて、熊と間違われて猟師に撃たれて死んだ陽人は、最後に脳みそを熊に食われる。このラストシーンで横浜監督は何を暗示させたかったのか?農薬に汚染された陽人の脳みそを食べた熊がモンスター化して村人を襲うというホラーな展開を思い浮かべたのは、きっと私だけではあるまい・・・。どうにせよ、本作の解釈は観る者によって違っていて構わないということだけは確かだろう。
まず第一に、津軽弁が何喋っているのかいまいちわっがんね。
なんとなくわかるとこもあるけれど、なんていうか、全体的に、よくわかんね。
でも松山ケンイチは上手だあなぁ、とは思う。
ラスト、マチコ先生が、ようじんさんのゴニョゴニョをリュックから出した時、
なんだかちょっと涙が出た。
青森という県の暖かさというか、なんというか、ほのぼのとした県民性(?)みたいなものは伝わった。
ようじんさんの一途さもなんとなくわかった。
でもなんていうか、よくわかんなかった。
こういうの、好きな人には好きなのだろうけど、個人的にはもうちょっとわかりやすいほうがいいな。