アメリカ映画初出演となるオードリー・ヘプバーンと名優グレゴリー・ペック共演のロマンティックコメディ。ヨーロッパを周遊中の某小国の王女アンは、常に侍従がつきまとう生活に嫌気が差し、滞在中のローマで大使館を脱出。偶然出会ったアメリカ人新聞記者ジョとたった1日のラブストーリーを繰り広げる。監督は巨匠ウィリアム・ワイラー。アカデミー賞では主演女優賞、脚本賞、衣装デザイン賞を受賞した。1953年製作で54年に日本公開。日本ではその後も幾度もリバイバル公開されており、2003年には製作50周年を記念して「製作50周年記念デジタル・ニューマスター版」でリバイバル公開された(パラマウント・ホーム・エンタテインメント配給)。2020年8月には、人気声優による名画吹き替えプロジェクト「NEW ERA MOVIES」で新たに制作された吹き替え版(アン王女役=南條愛乃/ジョー・ブラッドレー役=堀内賢雄/アーヴィング・ラドビッチ役=高木渉)で公開(モービー・ディック配給)。
ローマの休日評論(20)
確かにオードリーヘップバーンは美しかったですし、無邪気な姿はとても可愛かったです。
惹かれ合う2人の別れが切ないのは切ないですが、やや物語の内容の薄さを感じましたし、私は主演の美しさだげで映画1本観れるタイプではありませんでした。
速くなく、ましてや、汚い言葉を使っていないから言語の響きがよく安心して観られる。それに、面白おかしく何度みても気持ちよく笑える映画。こんな映画、好きだなあ。
この映画でグレゴリーペックの名前が最初に紹介され、次はオードリーヘップバーンで、この映画は全てがイタリアで撮影されたと最初にでる。この映画は私にとってジョー ブラッドリー(グレコリーペック)が主役で、彼の心に中が、欲から善に変わっていくところが好きで、そのなかで、彼女を好きになって、自分について真実を言いたくなり、金銭をもうける機会はどうでもよくなっていくところがいい。
この映画でジョーの心の動きを追うのが好き。最初はアニャのことを信じてなかったから、二度もポケットの中の自分のお金を確かめている。その後、アニャ(アン王妃)とジョーの間には、お互い好きになる前に、すでに信頼関係が成り立っていたと思う。「真実の口」で手を失うと言う真似をした(嘘)ジョーにアニャはいたわりの言葉をかけている。その後、ジョーが何を祈ったのか聞いた時『チャンスはちょっとしかない』とアニャは答えたが、二人は近づいていることがわかる。それに、アニャが一言『completely unselfish 』とボートの上でダンスをしながら言う。ジョー、米国の新聞記者(Ammerican News Service)は目を伏せる。これをネタに大儲けを企んでいるというやましいことをしているからアナの顔を直接見られず、バーの方へ行こうとはぐらかしたようだ。でも、ジョーの顔つきが一瞬止まったことを私は見逃さなかった。それでも、彼は目的を果たすために、散髪屋の名前をメモに書き込んでいる。
その後、金儲けにアニャを利用しようとしている行為が徐々に愛に変わっていく。
ジョーはこれをスクープにすることに、躊躇感を抱きはじめていて、アニャを好きになっていくことに戸惑いを覚えていくのが伺える。ボートの上でダンンスを終え、警察の目を逃れ川に飛び込み、岸まで泳ぎ、二人がキスをするシーンがあるが、そこで、ジョーは自分の行為にうかつだったというように『I......』。。I guess,,,アービンの車のところに、。。と言って、自分がアニャを好きになってしまって困ったような言い方をしている。最高のシーンだ。
最後のプレスが集まって、アン王妃にインタビューをするシーンがある。カメラマン、アービンがアン王女の写真をライターで撮る時、アンが気づく。でもジョーブラドリーは微笑む。アンがプレスと個人個人に会いたいという時アービンはローマで撮った写真を渡す。
ここで、三人の信頼が保障される。思い出の写真を抱えていくアン王妃、ジョーの気持ちをそっとしてあげて立ち去るカメラマンアービン。もう一度、アンに会えるかもしれないと振り返るジョーブラッドリー。
1953 年の映画だからね? なにか『二人が結ばれたらいいなあ』と、自分で勝手に想像するする。
蛇足:私は以前この映画を娘に見るように勧めたらしい。先日娘がそういった。『ママは細かいところまでみているねえ』と。
朝10時には無理だが、平日の夜7時なら観に行ける。
おそらく10回以上は観ている筈なのだが、ひょっとしたらスクリーンでは初鑑賞になるのかも知れない。
初見はまだ子供の頃だったが、大号泣したのをはっきりと憶えている。
その後何度も再見するも、グレゴリー・ペックの演技であったり。最後の最後に至る2人の感情表現であったり…と。色々とケチを付ける様になって行ったものでした。
まあ、少なくともダンスパーティーの場面までペックは騙すつもり満々だったのは明確なのだけれど。今改めて観直すと、ワイラーの神懸かり的な演出に、D・トランポの完璧と言える脚本上での緻密な積み重ねには驚嘆してしまう。(それにしても、宮崎駿は本当にこの映画が好きだよね〜)
そんな。今となっては、若かりしき時期に於ける若気の至り…ってヤツで。頭の思考が〝 目立たないが地味な良作を掘り起こそう 〟等とゆう(明らかに駄目な)シネアストを気取り。間違った思考バリバリゆえの、名作と言える作品を無理矢理に貶していた日々があったのを恥じるばかり。
それにしても。クラシックなモノクロ作品には、様々な色彩が鮮やかなのを感じ取れる。それも素晴らしいのだけれど、エンディングでシンプルに【 The End 】と表示され、余韻が最高に盛り上がった瞬間に映画は終わる。
最早、現在の映画では。この余韻を味わう事は永遠に叶わないのだ…。
2020年4月2日 TOHOシネマズ日本橋/スクリーン9
オードリー・ヘップバーンの美しさが爆発しています。容姿もそうですが、どんな動きをしても美しい。こんな美人で魅力的な女優さん、今に至ってもいないんじゃないかと思った程です。
先にティファニーで朝食を観たのですが、そっちよりも断然アン役がハマっていると思います。
忙しさと王女という責任の重圧に、情緒不安定な序盤。それが新聞記者とのデートで変わります。街に繰り出すアンはとってもチャーミングで、出会った誰からも愛されるような人物。それが恋に落ちてハッピーエンド♡では終わらず、冷静に決断をします。大使館に戻ったアンはすっかり大人の王女になっていました。
たった1日のデートで大きく成長したアンの、ラストの取材シーンのやり取りは胸が苦しいくらいです。
もう少し時が経ったらもう一度見たい作品です。
原案・脚本は、「ジョニーは戦場へ行った」の執念の監督ダルトン・トランボで、今回クレジットに表記されていて驚いた。調べてみると2011年に正規の記載になったとある。赤狩りによる苦難の時期、その逆境にあって王女と新聞記者の一夜の恋を題材としたロマンティックコメディを創作したというのは、何か特別な意味を感じさせる。
グレゴリー・ペックとエディ・アルバートのやり取りのギャグに笑って最後に行くと、ラストシーンのペックとヘプバーンのアップカットが何とも言えない。無音の映像にあるアン王女の想い、ブラッドレー記者の想いが響いてきて、感無量となる。この余韻こそが、映画の良さ、映画表現の神髄といえるだろう。