真昼の死闘
プロット
アメリカ・メキシコ合作
02月06日 1971 台灣上映
荒野の七人 真昼の決闘
プロット
アメリカ
10月10日 1972 台灣上映
白昼の決闘(1948)
プロット
アメリカ
09月21日 1951 台灣上映
決闘の河
プロット
日本
11月22日 1950 台灣上映
アパルーサの決闘
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
白昼の対決
プロット
アメリカ
11月12日 1955 台灣上映
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真昼の決闘評論(13)
しかしその例外としてこの作品がある。多くの方々が既に周知の作品である。この西部劇は少し変わっている。インディアンも牛も幌馬車も登場しない。だがこれはその範疇を越えた作品であり、いわばヒューマン・ドラマとさえいえるのではないか。そこには人間の弱さとその裏返しの強さがある。また自己中心と勇気が絡み合っているように思う。さらに腕っ節の良いガンマンも強いヒーローも登場しない。ただあるのは長身で飄々とした初老の保安官だけである。
北部から釈放され、ウィル・ケイン(ゲーリー・クーパー)に復讐心を燃やす無頼漢が正午の汽車で5年ぶりに帰ってくる。時は暑い日ざしがじりじりと照りつけるある日曜日、結婚したばかりのウィルとアミイ(グレース・ケリー)にこの報が届く。ウィルはこのままでは町の平和が乱され取り返しのつかないことになると馬車を町にひき帰えす。彼は初々しい新妻アミイの説得に応じず援護隊を募るが身の危機を感じて一人二人と抜けてゆく。ウィルに多大な恩があるのに4人の無頼漢どもにおじけづいて援護を拒む。時計の針は正午へと非情に時を刻んでゆく。ウィルとて人間、恐怖心がよぎる。馬小屋に赴いて逃亡をふと考えるが踏みとどまる。
ついに正午となり彼は人気の全くない町を駅に向って歩き出す。その後ろ姿をカメラがとらえ引いて、引いて通り全体に孤立無援のウィルの孤独な姿を映し出す。寂寥感さえ漂う。
それからのガン・ファイトの詳述は割愛するが、血わき肉踊るスカッとした映像になっている。まさに秀逸である。
身の安全を優先する町民の身勝手さ、孤立無援で敵を倒したウィル・ケインの勇気と行動力にはフィクションながら賛嘆せざるおう得ない。
ならず者がお昼の汽車でやってくるまでの数時間と、その後のわずかな時間をすごい緊張感で描く。
ならずもの4人に対して保安官が立ち向かうのだが、誰一人協力者が現れず、せっかく現れた人も他に誰もいないと知ったら逃げてしまうところが悲しすぎる。
村人たちが、教会で威勢のいいことを言っていた人すらまったく味方してくれないところが残念だった。
ならず者がどんな凶暴な男が現れるのかと思ったらもったいつけた割に特にキャラのない、しれっとした男ですごく意外だった。
新妻も一人で逃げようとして、当然なんだけどクソだなと思っていたら最後に加勢してくれて見直した。いい奥さんだった。
一人ずつ敵を倒していくアクションが地味でリアルですごくよかった。
保安官を嫌っている人がいたり、ならず者を支持している人もいたり、過去にどんな因縁があったのかとても気になった。そんな含みのあるところもセンスがいい。
信頼していた人は助けてくれず、友達も居留守を使う。一人戦力になる人がいたのだけれど土壇場で他に協力者いないなら勝ち目ない、無理ぽいからやめると逃亡。
主人公に対してお前さんさえ町からいなくなれば安全だろう的な見解の住人たち。正義は何処へいった...。
教会でのやりとりもゲンナリ、やっぱりお前もか。
今迄じぶんたちの為に尽くしてくれた恩人なのだから、というのもあるが所詮は他人事。
決闘はあるけど自分さえ良ければという人間の本性、ヒトという生き物を描き出したドラマ部分が中心の映画。これは西部劇だけど他の話にだって当てはまる。
最後は隠れていた人々がゾロゾロと出てくる。正義の心を持つ少年に終わったことを伝え、自分のことを見捨てた人々を睨みつけて去ってゆく。保安官バッジを捨てる。恩知らずのクソムシどもが、みたいな。
生き残りたいメキシコの女、戦わない宗教の嫁という二人の女優もストーリーを盛り上げていたし凄く良かった。
スタンリー・クレイマー製作、フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演による1952年の西部劇の名作。
ストーリーはシンプルだが、いわゆる王道西部劇ではない。
この映画で描かれる保安官は助けを求め、保安官バッジを置く。強く頼れるアメリカの男の象徴だった保安官像は脆くも崩れ去った。
町人もこれまで保安官の世話になったろうに平気でそっぽ向く。人間の薄情さを浮き彫りに。
爽快さや娯楽作としての醍醐味には欠ける。
が、劇中の時間と上映時間がリアルタイムで進行。刻一刻と迫るタイムリミット、主人公の焦燥と孤独、1対4の戦いなど一貫した緊迫感が見事。
ジョン・フォード、ハワード・ホークス、ジョン・ウェインら“西部劇の男たち”はこぞって本作を批判したと言う。
製作されたのは赤狩り真っ只中。
どんな政治的意味が込められているか分からないし、当時の背景についても詳しく説明出来ない。
確かなのは、勧善懲悪の西部劇はあくまで映画の中だけと言う事。ひょっとしたら西部の時代、名も無い町で名も無い保安官が映画と同じ道を辿ったかもしれない。
リアリズム西部劇が誕生した瞬間。