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眠狂四郎勝負 プロット 日本 01月09日 1964 台灣上映
眠狂四郎女妖剣 プロット 日本 10月17日 1964 台灣上映
眠狂四郎炎情剣 プロット 日本 01月13日 1965 台灣上映
眠狂四郎魔性剣 プロット 日本 05月01日 1965 台灣上映
眠狂四郎多情剣 プロット 日本 03月12日 1966 台灣上映
眠狂四郎殺法帖評論(8)
WOWOWの市川雷蔵没後50年「眠狂四郎」全12作品一挙放送…で観賞。
眠狂四郎と言えば田村正和という世代(フジテレビ/関西テレビ、テレビ朝日のテレビシリーズ)だが、雷蔵がはまり役だったという伝説は知っている。
田村正和版は、彼のねっとりとした喋り方と、テレビでありながら女性の裸がやたらと露出されていたことで、淫靡なイメージだった(気がする…子供の頃の記憶で)が、雷蔵版はエロティシズムは抑えぎみで伊達男のイメージ。
相手役の中村玉緒は、純情娘役が多く主役級の看板女優ではなかったが、清楚さの上に色っぽさを重ねて女優としての力量を示している。
色仕掛けに転じたとき、そして狂四郎の魅力に抗えずすがりつくとき、局面の違いから異なる妖艶さを見せている。
時代劇が得意な雷蔵ではあるが、三船敏郎や勝新太郎のように身体能力が優れているとは言えず、撫でるような斬り方の殺陣は、流れるような美しさはあるものの迫力に欠ける。
芸風は同じ歌舞伎出身の萬屋錦之助に通じるところがあるが、殺陣も見栄を切るところも、迫力という点では負けていると思う。
そこが雷蔵の魅力でもあり、眠狂四郎にちょうど合っていたのかもしれない。
この当時の時代劇映画には「様式美」があったと思う。(特に大映時代劇)
光と影の映像、シネマスコープの画面を活かした構図、粋な台詞回しなど。
監督の田中徳三は、大映では多数の時代劇やヤクザ映画を担当しているが、本シリーズはことさら様式美に拘っていたのではないか。
特に、伊賀忍者たちを切り捨てた狂四郎が闇に消えていくまでのアバンタイトルは秀逸。
江戸弁の軽やかな調子、狂四郎と女たちの艶っぽい掛け合いの台詞は、シリーズ12作中8作の脚本を担当した星川清司による。
「狂四郎様… もう、どうにもならない…どうにもなりませぬ!」と、狂四郎にしなだれてすがりつく千佐「…今夜は違います。燃えぬかどうか、ご覧なさりませ!」
などなど、色っぽく、時代劇でなければ使えない台詞が満載。
それはそうと、狂四郎と千佐の秘め事の一部始終が忍者捨丸(高見国一)に覗き見されていたとは、お笑い。
捨丸が「狂四郎、お前には何もかも負けた」と言うのだから、どんな光景を見てしまったのか⁉️
しかし、雷蔵版第一作目になぜこの物語を当てたのだろうか。
というか、陳孫(城健三朗=若山富三郎)との対決をクライマックスに持ってきたのはなぜだろう。決戦の相手が従手空拳の少林寺拳法では、円月殺法の見せ所にならないだろう。
しかも、円月殺法から放たれた狂四郎の剣先は、真剣白刃取りで見事に受け止められるのだから、円月殺法ここに敗れたり、ではないか。
反撃に脇差しを抜くという、真剣白刃取りで両手がふさがった相手に対して大人げない戦法に出ざるを得ない。
せっかく殺陣の名人若山富三郎をキャスティングしたのに、もったいない!
だから、円月殺法は物語中盤で伊賀者添番(木村玄)相手に先に披露されているのだが、木村玄は剣技を見せる間もなく斬られてしまう。
第一作目なら、対決相手の強さを充分示した上で、円月殺法の凄さを見せつけるのが普通の発想だと思うのだけど。
蛇足だが、伊賀者たちが弱すぎる。
江戸時代末期が時代設定だから、忍者も鈍ってるのでしょうか…
映画 #眠狂四郎殺法帖 (1963年)鑑賞
#柴田錬三郎 原作の眠狂四郎シリーズの第一作
相手役は、#中村玉緒
中村玉緒さんって若い頃は声がかすれてないんだね!
#若山富三郎 が #城健三朗 名義で出てました
シリーズ後作から見始めたため、雷蔵(狂四郎)にまだ若さが感じられる。