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男たちのかいた絵 プロット 日本 05月11日 1996 台灣上映
愛のかたち プロット イタリア 02月10日 1990 台灣上映
家族のかたち プロット イギリス 07月10日 2004 台灣上映
恋人たちの食卓 プロット 台湾 07月01日 1995 台灣上映
君の膵臓をたべたい プロット 日本 09月01日 2018 台灣上映
かごの中の子供たち プロット フランス 06月01日 1991 台灣上映
いのちの食べかた評論(16)
大量の食糧を必要?とする人間が牛、豚、鶏を増やし殺し製品とする。
BGMも無いため、工場内で居るような音の雰囲気はすごい。
これだけ殺して食べているのが罪深いとまでは考えないが、飽食の国と飢餓の国がある現実、命を大量に奪って生きる人間等考えると答えが出にくい。
監督の言いたいことは解らなくもないが、難しいテーマである。
屠殺シーンと解体シーンがあるため、グロ耐性ない人は観ない方がよいでしょう。
スタイルや目的意識が徹底されている名作。
偏執的なシンメトリーの多用や一切の説明排除と長回しはキューブリックを意識?
女性工員は無表情に豚足を切り落とし、数秒後の運命を知った哀れなウシの脳天には無慈悲にショック銃が打たれる。大量消費時代の「食」の本質だし目を逸らせるわけにはいかないですね。
ナレーションや音楽を一切排除し、屠場と農場を交互に淡々と映し出し、人間の食欲のためにここまでやっているんだぞ!とイヤというほど見せつけてくれました。ヒヨコの選別やリンゴやトマトを刈りいれてるときは問題なかったんですけどね・・・さすがに豚や牛を機械でズバっとやられると食欲も失せちゃいます。
それよりもオートメーション化がここまで凄いことになってるとは思いませんでした。時折、機械にさばかれているのが人間だったら・・・などと不条理な妄想にかきたてられ、脳内ではまな板の上の鯉状態。それでも、ひと思いにグサっとやってくれるからいいんだけど、運悪く急所をはずし、豚さんの鳴き声が悲痛なものに感じられることもしばしば。
なんだか妙な気分にさせられる一方で、種付けさせると思わせておいて寸前のところで違う容器に入れられている牛さんも可哀そうです。遺伝子組換え操作なのか、クローン牛製造のためなのかよくわかりませんでしたけど、これじゃ“童貞牛。をプロデュース”じゃないですか!あぁ、牛さんの運命やいかに・・・
さらにショッキングなシーン。牛の帝王切開?もしかして麻酔をかけてない?ちゃんと縫合するのか?いくら牛とはいえ・・・非人道的!いや、非牛道的!まぁ、あの部分がコブクロとして食べられるんだろうか?コブクロが嫌いでよかった・・・ホッ・・・
最近のエンドロールの特徴である「動物は一切殺したり傷つけてません」などという言葉はさすがに出てこない映画でした。しばらく肉は食いたくないと心に誓う人も出てくるかもしれませんが、あれは動物じゃないんだ!と信じ込むしかありません。きっと果物か何かです。まぁ、ダイエットしたい人が見るべき映画かな・・・
どうやって大量にさばくかは知ることができた。
作業員が何の感慨もなさそうに家畜を処分し、普通に口にしているのがシュールだ。
ときに残酷で、ときに美しいこの映像群はただ見えないだけの紛れもない世界の日常なのである。
ナレーションも音楽も一切を排し淡々と映し出されるその"日常"の光景に私達は衝撃を受ける。
今やいのちの恩恵を享受するだけに飽きたらず、いのちを操るすべさえ手にいれた人間は果たしてどこへ向かって行くのか…。
いつものように牛の喉を切り開き、いつものように掃除をして仕事を終える人を映しながら作品は静かに幕を閉じる。
作品を観てどう感じたか。
全ての答えは私達ひとりひとりのこれからにあるのだと言うことか。
何十年後、その時の世の中を思いながらもう一度観たい作品だ。