マイレージ、マイライフ
プロット
アメリカ
03月20日 2010 台灣上映
マイライフ、ママライフ
プロット
日本
09月14日 2021 台灣上映
ゴースト・ドッグ
プロット
アメリカ・日本・フランス・ドイツ合作
11月27日 1999 台灣上映
ストレイ・ドッグ
プロット
アメリカ
10月23日 2020 台灣上映
ブラック・ドッグ
プロット
アメリカ
06月26日 1999 台灣上映
スノー・ドッグ
プロット
アメリカ
06月15日 2002 台灣上映
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マイライフ・アズ・ア・ドッグ評論(20)
家庭の事情で家を離れる少年が、新たな場所で子供らしく様々なことを経験して新鮮に受け止めていく。でもこういうのってよくある話で、とりとめもなく描かれる日常の小さな出来事の連続に、当初はそれがどうしたといった印象で退屈でもあった。母親のことや他の家族のこともはっきりと描かれず、物語のいきあたりばったりの展開に明瞭性がない。
でも家族とばらばらで知らない人だらけの場所で生活をせざる得ない少年が、遠くで昔の生活や母親と犬のことを思いながら地域に溶け込んで新しい生活をおくる様子には温かさがある。それは「僕は宇宙に無理やり送られて死んだライカ犬よりまだまし」と自分の不幸を肯定的に捉える少年の天真爛漫さに加えて、周囲の人々も滑稽に温かく描かれているからだろうか。実際、少年の場所は、兄の住む冷えた場所よりもはるかに温かくてましだ。いくつかの不幸を越えて、最後には安らぎと希望もかすかに見れる。物語よりも、登場人物たちの性格と振る舞い、不幸を包み込む暖かな雰囲気を楽しめた。
本作品のハルストレム監督、「ショコラ」「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」の監督でもある。これらの作品は、見知らぬ場所に旅立ち、自分を発見して成長していく物語でもある。特に「ギルバート・グレイプ」と似ている。彼のそのような旅立ちの作品の原点なのかもしれない。
カメラワークをとっても共通している特徴を上げることができる。まず、屋内のシーンに出てくる連続したドア。隣の部屋へと続くドアが解放されていて、その奥にもう一つのドアが見える。狭い屋内だが奥行きを意識したショットで、深く印象に残る。
次に、登場人物の人生の転機につきものの大きな炎。火事はハルストレムの作品では重要な要素である。グレイプ家が燃えるのも、自ら火を付けたとはいえ、結果としては火事である。火事をきっかけに登場人物たちの生活には大きな変化が起きる。大きな炎は物語を前へ進める強力なエンジンの役割をしている。
そして、高みにいる子供を見上げる大人たち。給水塔、ロープウェイを下から見上げるのは大人たちなのである。子供の自由な意志と、それを見上げているしかない大人たち。大人の生活には様々な制約がついてまわり、その中でおとなしく暮しているはずの子供たちは、機会さえ得られれば手の届かないところへと行ってしまう。子供に対する不安と羨望と頼もしさ。ラジオ中継でスウェーデンのボクサーが勝ったことに町中が喜んでいるラストのシーンは、いみじくもその子供の未来や可能性への大人の感情を表してはいないだろうか。
悲しくもありますが、幸福な映画でした。
結核の母、歳の近い兄と3人+ワンちゃん1匹と暮らしているイングマル。家族の機能が弱まっているせいか、年齢にそぐわずおねしょするなど情緒に影響が出ています。辛くなると宇宙に打ち上げられた犬を想像し、自分はあの犬よりマシだ、と自分自身を慰めるという、厳しい人生を歩んでいます。
母の病が重くなったため、田舎に住む母方の叔父に一時的に引き取られることになり、叔父が住むガラス工場の村でさまざまな人に出会っていくお話でした。
叔父が住むガラス工場の村が本当に素晴らしいです。
誰も排除せずに受け入れる余裕があります。舞台は50年代末ですが、今流行りのダイバーシティを地で行くコミュニティです。みんな楽しそうに生きているし、精神的に危うい人も、イザとなれば村人たちが抱える雰囲気もある。
イングマルは大好きな母と犬と別れてこの村に来たのですが、どんどん元気になるのがわかります。サッカーやボクシングを覚えたり、男装の美少女サガや優しいパツキンねーちゃんと仲良くなったりと、イングマルは宇宙犬のことなど思い出すヒマなどありません。
この村は、所属する人たちを抑圧しないため、ありのままの姿で在れるのだと思います。だからイングマルは自然と回復していく。
ここに、人が幸福に生きたり、多様性を許容できたりするコミュニティのヒントが描かれているように感じました。もちろん、こんなに善人ばっかのコミュニティはないですが、この村に住めば、真性の悪人以外は割と穏やかになっていくんじゃないかな、と思います。
これからの時代は、幸福の要因が個人因子よりも環境因子の方に重きを置かれるようになってくるのでは、なんて考えています。幸福なコミュニティに所属することが、個人的な幸福のベースとなるのではないでしょうか。フィクションから現実へ、そのままフィードバックはもちろん不可能ですが、エッセンスを学ぶことはできそう。
前世紀の作品ですが、未来を生きる我々に示唆を与えてくれる映画なのでは、などと感じております。
子供とはいえ、主人公のワガママにウンザリしてしまった。また、何故かモテている要素にも嫌悪感(これはヤッカミ)。