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リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス評論(4)
最近鑑賞した映画の題名にもなっていた『Blue Bayou』... 彼の歌声からは決して悲しみなんて伝わっては来やしない曲でもあり、またその歌をカバーするのは勝手でも狭い心の持ち主からすると本家よりもロンシュタットの方がヒットしたなんていい気持ちはしない。しかも"Bayou"の意味からすると... まっいいか!?
本当はそんなことから、少しは彼女を腐すことでも載せようかと思ったけど最後に彼女が少し頑張っているのが分かるので... 涙が出てきてそんなこと書けやしない。
Ninety-nine percent of singing is listening and hearing, and
so then 1 percent of it is singing.
Linda Ronstadt
バイオピックとしては多少アーカイブスの画質の悪さは当時としては仕方のないことで、それにしてもとても見やすくできていて、映画のエディターのジェイク・プシンスキーの能力の高さが分かるものとなっている。
音楽に興味のない人でも80年代のアメリカが家庭内の秩序や家族の在り方が崩壊した変革時代を生き抜いたポピュラー界のアイコンなので一度ご覧になっても差し支えはないのかもしれない。
amazon.comでは5800人ほどの方がレビューを載せていて☆4と5を合わせて95%になっているので...
リンダ・ロンシュタットのインタビューも含めて彼女の半生を描いたドキュメンタリーである。アリゾナ州ツーソンのメキシコとの境界近くで生まれ、父親はバリトンで家族とスペイン語で歌を歌う音楽家族で育った。『ストーンポニーズ』のボーカルで有名になり、ウエストハリウッドのトルバドールTroubadourというクラブで歌った。彼女は11もの数多くのグラミーに輝いた。2009年にパーキンソンで一線から退き、甥のピーターと従兄弟のボビーと長椅子に座って、家族でスペイン語の歌を
口ずさんでいる。それで、このドキュメンタリーは終わっている。彼女のヒット曲、YOU DO NO GOOD でドキュメンタリーは始まっている。
好きなシーンは、彼女の才能。 ロック、ポップ、フォーク、ラテン、オペラ などなんでもこなす。誰かが言っているように、有名になっていても、ジャンルを変えることにより、ファンが去ることもある。しかしは彼女はそれを恐れず挑戦する。特に、ギルバート・オサーリバン( Gilbert and Sullivan)のオペラ(The Pirates of Penzance)の声には驚いた。ケビン・クラインも出演しているが、オペラ歌手顔負けだ。リンダの祖父はツーソンで初めてオーケストラを編成し、この曲を創作したらしい。しかし、音量だけでなくヴォイスに幅があるからなんでもこなせるようだ。なんでも挑戦する態度が大好きだった。それに、何に挑戦しても、うまく行くとは、こんなに才能がある、歌手は少ないね。 でも、誰かが言ってたけど、『自分に自信がない人だ』と。この意味はなんでもできるがゆえに、自分自信を見直したり、成長させる時間がなかったのかもしれない。キャリア一本だと、時々、人生の何かを見失う。家系的にも祖母がパーキンソンで自分もそうなったようなことを言っていた。そして、最後のシーンでいとこと甥と歌うシーンで自分の自信のなさを見せている。 私はちょっと気分が落ちこんだ。そして思った。いいじゃん、ここまでやったんだから、これ以上歌えなくったてと。彼女は祖父や父親の足跡を引き継ぎ残すことができているのに。
『Somewhere Out There』 James Ingram これは彼女の有名な曲らしいが私は全く知らない。
『Don't Know Much』Aaron Neville, これはよく知っている。
リンダのバックバンドはイーグルスだったとは知らなかった。その後、リンダはグレン・フライとドンヘンリーがイークルースを編成する時、手伝ってあげたと。そして、『デスパーラド』を一緒に歌った。
リンダ・ロンシュタットのドキュメンタリーは90%は知らないことばかりで初耳。 米国では個人的にバンドやオールマン・ブラザーズ・バンドに注目していたので、彼女の音楽を全く聞かなかった。 カルフォルニアの州知事、ジェリー・ブラウンと70年代に付き合っていたとは、驚いた。州知事とカントリーロックスター。