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ツィゴイネルワイゼン評論(19)
難しいという人もいるけど、けっこうおもしろい。
原田芳雄演じる中砂は死への欲動が大きく、対照的にその友人青地は死への恐怖に苛まれる。この二人ともが生への欲求は希薄に見える。しかしお互いの方向は逆なのだが、二人の死というものへの意識は非常に強い。とりわけ原田の死を欲望する表情が強烈である。
中砂の周囲には絶えず死のにおいが漂っている。海辺の田舎町で誘惑した女は崖から転落死。興味本位で門付の後を追ってみるが、彼らは一人の女を巡って争ったあげくに、二人の男は地中に埋もれて消えてしまう。そして妻の園は女の子を生むと間もなく死に、その中砂の娘も終盤では生きているのかそうでないのかがよく分からない。
そう、中砂の口をとおして語られる人々の生死はどれもはっきりしない。死んだことがはっきりとしていても、なぜ死ななければならなかったのかは謎なのである。彼の話をどこまで信じてよいものか半信半疑の青地と観客たちを取り残して、映画の半ば過ぎには中砂本人も死んでしまうのだ。
最も不思議な感覚にとらわれるのは、妻の園が死に、代わりに昔の知り合った芸者の小稲が後添えに収まっているあたりだ。観客も青地も、中砂が「そっくりだろう」と言うから、園と小稲が別人だと思い込んでいるだけである。死んだ中砂が、自分のことなど忘れてあの世では園とうまくやっていると嫉妬していることからも、小稲と園は別の存在だと了解することはできる。しかし、夜ごと青地家を訪ねて、中砂が貸した本の返却をせまる小稲に、芸者時代の朗らかさが消えてしまっているのはなぜだろう。青地家に来た小稲の姿に、むしろ無心にこんにゃくをちぎっていた園の影を感じるのは私だけだろうか。あのこんにゃくをちぎる音は、まるで肉を引きちぎるような音で気持ち悪かった。
園と小稲は果たして別個の人間だったのだろうか。別人だったとして、死んだのは本当はどっちなのか。映画は観る者を果てしない闇に迷いこませる。
どっちなのか分からなくなってしまうものがこの映画にはもう一つある。それは、青地が園(小稲)とたびたび出会う切通だ。青地と出会った彼女が、もと来た道を引き返して青地について行くように思えるのだが、気のせいだろうか。切通のほの暗さと複雑な地形に幻惑されてはっきりと意識しなかったが、あとになってから気になり始めた。
合理性をもって判断しようとするとストレスばかり感じて、意味が分からない内容。しかし、誰が死んだのか本当は分からない。生と死の反転。死を欲する者、死を恐れる者の混在。このような混乱こそが不気味で恐ろしい。
それにしても、出てくる人物は皆よく食う。でっかいうなぎ、こんにゃくてんこ盛りの鍋、所狭しと並んだ朱塗りの碗。食べているということだけが生きている証拠なのだと言わんばかりに、生きている者たちは食欲全開で料理を口に運ぶ。
食事のシーンが多くて食いっぷりも気持ち良く大量にコンニャクを千切るのも印象的。
奇想天外にも映る演出描写に色彩感覚が豊かな映像美など難解にも思えるストーリーに反して笑えるような、良い意味で雑に感じる場面もあり全体的に困惑してしまう!?
死のイメージを覆すリアルには描かない死。
いや、幻想的という表現は美しすぎる。
異性の欲情、傲慢、そして悲壮が、あまりに強烈で芸術的な感性で描かれている。
見終わった後に感性疲れを起こすような、「ものすごい」名作だ。